FC2ブログ

「唄うべき歌は今なお唄い続けている」アリとキリギリス

本日もお越しいただき
ありがとうございます




アリとキリギリスと言えば
働くこともせず
遊んだり昼寝をしたり
唄ってばかりいながら
あたたかい季節を過ごした
キリギリスに対し

せっせと働き続け
寒い季節に向け
食料を備蓄することに
毎日を費やす
アリがいて

冬になって
食べるものがなくなり
飢えたキリギリスが
アリのもとを訪ねる
という物語ですが
natsume-isoppu-ari_convert_20181217122432.jpg
出典:www.geocities.jp





アリとキリギリスの物語は
もっと暖気に生きてみませんか?という
最近お見かけした
志が高く
濃密な文量と内容で
理性的なスタイルの
素敵な精神世界ブログによると
古代ギリシャの寓話作家
アイソーポス
という人物が
その始まりのようです
320px-Velázquez_-_Esopo_(Museo_del_Prado,_1639-41)
出典:ja.wikipedia.org




元来は
アリとセミの
物語
だったものが
セミがいない
ヨーロッパ北部などで
物語が伝えられる際に
セミとキリギリスとが
バトンタッチされたようですね




寓話集はのちに
キリスト教の学者たちに
翻訳され
キリスト教の宗教観に沿った
教訓や道徳的な意味での物語
として
ヨーロッパ中に
広まっていったそうなんですね




そうして
渡来した宣教師によって
日本にまで
伝来し
江戸時代には
日本昔話風の
アレンジがほどこされ
明治期には
英語版が和訳されたり
教育勅語発布から
敗戦まで
道徳教育の教科書として
浸透していった
その結末が

訪ねてきたキリギリスを
不憫に思ったアリが
食料を分け与える
という
直球ど真ん中な
道徳的結末
なのですが





本来の結末は
「夏のあいだは
ずっと歌っていたのだから
冬のあいだは
踊っていればいい」

アリがキリギリスを
無下にし
キリギリスは餓死する
というものだったそうです──




そして
死の間際
キリギリスが遺した言葉が
こうでした

「唄うべき歌は
唄いつくした
私の亡骸を食べ
君は生きのびればいい」





ぼくは
キリギリスのこの発言に
「死」への恐れ
感じさせない
「1」もしくは
「0」の世界のビジョン
禁じ得ません




「納得」が
のちのその人の人生を支える

とは
「ちゃんと自分という人間でいられる場所」
乳腺外科医・明石定子

の記事における
明石医師の言葉ですが




生とは何か
死とは何か

という
体感的な
納得を得た
その人は
いつこの身が滅びても
悔いはないし
「死」を恐れることもない

という心的状態に
必然的に導かれ
それを支えに
生きることになるからです




ぼくもまた
かっこつけるわけではありませんが
「唄うべき歌は唄った」
と思う
そんな一人です



ここでいう
「唄うべき歌は唄った」とは
「この先
やるべきことは
何もないし
ただただ
死を待つのみ」

ということを
意味しません




いつなんどき
心肺停止のときを
迎えようとも
それが
「たられば」なき
最善の
自分の物語であることを
骨身で
理解したからこその
「唄うべき歌は唄った」
もしくは
「唄うべき歌は
今なお唄い続けている」
という
毎日が
「始まりと終わりが
同時進行する形の
現在進行形」
なのです





そうは言っても
「痛み」に対する
恐怖はありますし
「苦しみ」に対する
恐怖もまた
ないわけではありません

それがないケースが
いち人間にあるとすれば
薬物的な作用か
火事場のクソ力のような
危機回避のための
一時的な
フルスロットル作用の瞬間だけ
と言えるかもしれません



あくまで
「自己(友資)の消滅」という
意味においてのみ
恐れがない
のです




ぼくは
こうしたビジョンを
体得する気づきを経て
「生きる」ということが
とても楽になりました

その気づきによって
想定外の
新たな重荷を
背負うことにもなりましたが

その荷物は
宙に浮きすぎて
放っておけば
風船のように
どこまでも上昇してしまう
地に着かない足を
地にとどめておくための
最低限の
重り
のようなもの


それ以前の
押しつぶされそうなほどの
心的状態に
比べたなら
とても自由で
とても軽やかな
晴れ晴れした
心もちです





アリが
生きながらえるために
そのために必要なものを
蓄えることを
ひたすらに続ける
一生を送るように

人間は
「死」への恐怖から
「死」への納得が
得られないがために
未来や老後の
不安や恐怖心で
いっぱいになってしまう
生きもの
でもあります





かと言ってぼくは
アリをバカにすることは
決してできませんし
キリギリスが
優れているとも
特に思いません

キリギリスに
食べ物を分け与えなかった
こころない行動も
キリギリスのような
「今に生きる」というビジョンを
持たないアリですから
アリにはアリの人生観(虫生観?)があり
それもある意味では
仕方がないことです




自分のために
子供たちのために
来たる未来に備え
地道にコツコツと
うんざりするような
退屈で似通った日々を
耐え忍び
積み上げていくことも
ときには
大切なこと
だからです




キリギリスのように
死をも恐れず
自由に
今この
ありのままの瞬間に
身を投じ
味わい
生と向き合い

アリのように
過去に学び
未来に備え
堅実に
小さな歩幅でも
それを積み重ねながら
生と向き合う




このどちらもを
おのおの
できうる範囲で
大切に生きることこそが
アースフルネスライフへの
道しるべ
であると
そんな気がしてなりません




今日も
ありがとうございました






人気ブログランキング




2019年の1月より
有料メルマガ

友資の『アースフルネスビジョンで彩る豊かな人生』

創刊します


メルマガでは
「アースフルネスライフを生きる」の
記事についての動画解説

いただいた質問に
動画でお答えするコーナー
をメインに
ブログではなかなかお話できないことや
脳科学微生物学からひも解く
アースフルネスや精神世界のお話
社会をアースフルネスに読み解くお話や
ぼく独自の健康法や体験談
その他にも
手探り手探りで
人生を豊かにしうる
思いつく限りのあらゆるトピックに
踏み込んだコンテンツを
設けていきます

くだらない質問でも
切実な悩みでも
単なる報告でも
可能な限り
動画でレスポンスさせていただき
向き合わせていただきますので
ぼくと購読者のみなさんとの
円環のなかで
ともにアースフルネスライフを
はぐくんでいきませんか


はぐくんでいきませんか

動画でお応えする
質問に関しては
こちらからどうぞ↓
tomophex777@yahoo.co.jp




不可解
かつ
敷居が高く見られてしまう
ぼくのブログですが
まったくそんなことはない
ということが
メルマガを通じて
感じてもらえると思うので
どうか気楽に
気構えず遊びにいらしてください



初月無料ということで
お気に召さなければ
いつでも解約可能です




セミナーやセッションには
もちろん
それぞれの良さが
あるのですが
それらのものは
一回だけで
何千円何万円と
決して安くはない金額を要し
まったく同じものを
くり返し見ることができませんが
メルマガ動画でのやり取りは
好きなときに
好きなだけ
半永久的に確認や復習ができるうえに
じっくりと練ってから
好きなタイミングで
好きな質問や意見を
送っていただけますし
月4回のうち2回が動画配信として
1回が300円ちょっとで
残り2回の文字の記事も併せて
何度も見れると考えれば
交通費もかからず
コスパという意味でも
申し分ないかと思います




世知辛い時代に在りながら
税抜き620円の身銭を
切ってくださる
購読者のみなさんに
620円以上の価値を
お届けできるよう
精進して参ります

「私はすべてである」その理由と「1」の世界について

一昨日の記事
「明日のことは明日自らが思い悩む」
~イエスと池田晶子~
を受けて
ツイッターのほうから


私は誰でもない

はなんとなーく分かる。けど

裏を返せば
「私はすべてである」

にどう繋がるのかその間のことが解らなくて、
なんだこんな難しい話はムリ
って思ってしまうんだと思います。



というダイレクトメールを
読者の方から
いただいたのですが
その方が
そういう気持ちなら
他の多くの読者のみなさんも
同じ気持ちかもしれないと
思い立ち
急きょ
今日の記事を
書き上げるに至りました




置いてけぼりにされたと
感じた方は
申し訳ありませんでした

今日の記事で
伝わるといいのですが
仮にもし
今日も伝わらなくとも
自分を卑下したり
自分には縁がなかったんだな

なんて
思う必要性は
まったくないです



まず第一に
それは
ぼくの力不足
ですし

第二に
ぼくが発信している
言葉やメッセージ
特に
「1」や「0」の世界の
お話は
なかなか水が
滲み込んでいかない
石のように固いスポンジに
長い月日をかけて
時間をかけて
ゆっくりじっくり
水を滲みこませていくような
そんな過程を経ないと
知識から⇒体感へ
そしてさらに深くへと
浸透して行かないような
人間の
もっとも根源的なところの
お話
なので

ほんの短い期間で
「もういいや」となることは
とても
もったいないことのように思います




なのでこれからは
メルマガと動画を併用しながら
みなさんとともに
「こう言えば伝わるんだな」とか
「こういう言い方だと
独りよがりになっちゃうんだな」
とか
「そうかそういう見方もあるのか」
ということを
読者のみなさんから
教えていただいたり
学んだりしながら
ともに成長していきたいなと
考えている次第です




さて
池田晶子さんや
釈迦(ブッダ)がいうところの
「私はいない」
自分の「肉体」と「精神」
そして
そのふたつを超えた
この世界にあるもの
どれを照らし合わせてみても
「私」と呼べるものは
見当たらない

といった意味が
含まれているのですが




「過去」「未来」
「善」「悪」
「生」「死」
「男」「女」
「幸運」「不運」
「明るい」「暗い」
「熱い」「冷たい」
「始まり」「終わり」
「上」「下」
「右」「左」
「高い」「低い」
「長い」「短い」
「うれしい」「かなしい」
「早い」「遅い」
「進む」「戻る」
「好き」「嫌い」
「白」「黒」
「入る」「出る」
「あなた」「わたし」
「引力」「斥力」
などなど
隣り合わせの
ふたつのペアが
複雑にからみあい
骨組みを成しているのが
この「2」の世界です





すべてのものを
照らし合わせてみても
「私」と呼べるものが
見当たらない
ということは

そのペアとして
すべてのものが
「私」と呼べるものとして
見当たってしまう

ということが
ペアのもので構成された
この「2」の世界においては
もう片方の骨組みとして
同時に含まれることを
意味することになります



聞く人によっては
単なる言葉遊びのようにも
聞こえてしまうかもしれないのですが
新約聖書に
「初めに言葉があった」
と記されるだけの力が
「言葉」には
やはりあるんですよね





そして
いま一度
「私はすべてである」の世界
「1」の世界
についての
説明記事の
その一部を
以下に引きます
(お時間がある方は
後編もぜひ)




ポケットがひとつもない
宇宙規模の大きさの
立体的な円形の
ビリヤード台があると
想像してみます
Helix-Nebula_convert_20180924130002.jpg




そこには
無限にも等しい数の
無数の球が
(何者かによって)
セッティングされていて──
banner2_convert_20180924130014.jpg
https://cuestix.com/">出典:https://cuestix.com/




最初の
ひと突きが
起こった
その瞬間に──

台の中の
すべての球は
台の端にある球から
その反対側の
端にある球にまで
影響をおよぼし
また
どの球も
転がってきた
他の球から受ける
その影響を
決して
避けることができません




「空間」もまた
球ですし
「こころ」もまた
肉体を超えて
他の球から
ぶつかられたり
ぶつかったりを
えんえんくりかえす




それならば
「一個の球の動き」
「一人の人間の
そのときどきの
思考や感情や行動」

決定づけているものとは
いったい
なんだと言えるのか



それはというと
「私」以外の
すべての球の
相互のぶつかりあいが
「私」という一個の球の
その動きのすべてを
決定づける

ということになるのですが




厳密に言うと
「私」は
もっともっと
細分化することができます





脳や臓器
腕や足
骨格や性器
様々な肉体パーツが
数多の細胞によって
構成されております
人間の肉体ですが
もし
この一個一個の細胞もまた
「球」だとするなら

さらにその
一個の細胞を
構成する
あまたの素粒子もまた
「球」だとするなら

「今夜はキムチ鍋にしようかな」
「明日仕事行きたくないなあ」
「え~とこの問題は
この式を使ってこうやって…」

といった一個一個の
気持ちや感情
思考や創造の過程もまた
「球」だとするなら──

「私」と呼べるものは
やはり
どこにも見当たりません





けれども
大海にできた
ひとつの小さなうず
であるかのように
2d333f263d11e1b06a11ffb6cf3a4ae1--sea-shells-snails_convert_20181214134730.jpg
出典:pictasetex.pw



「海」の中の一部として
形成された
「私(うず)」は
言うまでもなく
外の他の
人間や森羅万象(海であり他のうず)から
切り離され
なんの影響も受けない
完全に独立したものとして
存在することは

「海」の中の「うず」
あるいは
「箱(宇宙)」の中の「球」として
停止することなく
相互に影響しあう
この世界の法則(縁起の法則)にあっては
起こりえないことで




球のぶつかりあいによって
存続できている
「私」は
その「私」以外の
すべての球にもまた
影響を与えている
だからこその──

「私はすべてである」であり
アースフルネス「7」ビジョンにおける
「1」の世界の
「宇宙全体」が「個人」の「運命」を切りひらくという認識

なのです
アースフル7ビジョン完成形_convert_20180923154229




「1」の世界の説明は
つくづく
難しいです

メルマガ動画で
果たして
どこまで伝えることが
できるのか
ほどよいプレッシャーを感じつつも
なんだか
わくわくもしますね^^




今日も
ありがとうございました





人気ブログランキング




2019年の1月より
有料メルマガ

友資の『アースフルネスビジョンで彩る豊かな人生』

創刊します


メルマガでは
「アースフルネスライフを生きる」の
記事についての動画解説

いただいた質問に
動画でお答えするコーナー
をメインに
ブログではなかなかお話できないことや
脳科学微生物学からひも解く
アースフルネスや精神世界のお話
社会をアースフルネスに読み解くお話や
ぼく独自の健康法や体験談
その他にも
手探り手探りで
人生を豊かにしうる
思いつく限りのあらゆるトピックに
踏み込んだコンテンツを
設けていきます

くだらない質問でも
切実な悩みでも
単なる報告でも
可能な限り
動画でレスポンスさせていただき
向き合わせていただきますので
ぼくと購読者のみなさんとの
円環のなかで
ともにアースフルネスライフを
はぐくんでいきませんか


はぐくんでいきませんか

動画でお応えする
質問に関しては
こちらからどうぞ↓
tomophex777@yahoo.co.jp




不可解
かつ
敷居が高く見られてしまう
ぼくのブログですが
まったくそんなことはない
ということが
メルマガを通じて
感じてもらえると思うので
どうか気楽に
気構えず遊びにいらしてください



初月無料ということで
お気に召さなければ
いつでも解約可能です




セミナーやセッションには
もちろん
それぞれの良さが
あるのですが
それらのものは
一回だけで
何千円何万円と
決して安くはない金額を要し
まったく同じものを
くり返し見ることができませんが
メルマガ動画でのやり取りは
好きなときに
好きなだけ
半永久的に確認や復習ができるうえに
じっくりと練ってから
好きなタイミングで
好きな質問や意見を
送っていただけますし
月4回のうち2回が動画配信として
1回が300円ちょっとで
残り2回の文字の記事も併せて
何度も見れると考えれば
交通費もかからず
コスパという意味でも
申し分ないかと思います




世知辛い時代に在りながら
税抜き620円の身銭を
切ってくださる
購読者のみなさんに
620円以上の価値を
お届けできるよう
精進して参ります

「明日のことは明日自らが思い悩む」 ~イエスと池田晶子~

本日もお越しいただき
ありがとうございます




ぼくが
拝読させていただいてる
ブログのひとつに
「バーソは自由に」
という
自身の豊富な経験や
勤勉な知性から
紡ぎ出される
信仰と真理への
あたたかいまなざしと
大人の品格や
さりげないユーモアを
感じさせてくれる
素敵なブログがあるのですが




マハトマ・ガンジー
「キリストが
山上の垂訓の中で
述べた教えについて
インドと英国が
意見の一致を見るなら、
両国の問題のみならず
全世界の問題も
解決することになるでしょう」

と述べたとされる
イエスの垂訓のなかの
こんな言葉を
最新記事で
扱われていたんですね



「明日のことまで
思い悩むな
明日のことは
明日自らが思い悩む
その日の苦労は
その日だけで十分である」
―――――マタイ6:34 新共同訳





ぼくは
イエスの
この言葉の中の
「明日のことは
明日自らが思い悩む」

という部分に
特に着目します




「明日」とは
地球が自転し
一度の夜を超えた
次の日の
「未来」
を意味する
人間で共有する
概念のひとつですが




「明日」が
人格を持ったかのように
「思い悩む」ことを
請け負ってくれる

とは
いったい
どういうことなのでしょうか




ぼくは
イエスのこの言葉に
釈迦(ブッダ)が
「私はいない」と説いた
「自己の不在」の教え

重ね合わせて
見ることを
避けることができません




「明日」のことは
明日自らが
思い悩む
ということは
「過去」のこともまた
過去自らが
思い悩む
ということを
意味することになり

つまるところ
このことは
「その日」のこともまた
実は
「その日自ら」が
思い悩んでいることに
ほかならなくなるんですね





おそらく
「そんなこと言われたって
思い悩んでるのは
疑いの余地なく
『自分』だし
『私』じゃないか」

というのが
多くの意見だと思います




ですが
「自分」
「私」
突き詰めていったなら──

『これ』が自分
『これ』が私
そう言えるものなど
ひとつもないことが
明確に
露呈することに
なっていきます





それでは
結局のところ
「自分」
あるいは
「私」とは
いったいなんなのでしょうか




かつて
池田晶子という哲学者が
こう言いました
※( )はぼくが足しました
o0387056711836955286.jpg
出典:ameblo.jp

(「自分」「私」を)
どこまでも疑っていくと、
「私を私と思っている『これ』」というのは、
実は誰でもない、
非人称の意識であるということに、
必ず気がつくことになります。
つまり、
私は誰でもない、
ノーボディ。
裏を返せば
「私はすべてである」
ということになります。


池田晶子著「人生のほんとう」





イエスのように
釈迦のように
そして
池田晶子さんのように
「自己の不在」を
知識としてだけでなく
体感的にも
感受した──
そのとき

そのひとは
「私はいない」
のと同時に
「すべてである」

という
「1」の世界
その扉の向こうへ

すでに
足を踏み入れています




怖い ですか?
恐れることはありません
その領域は
遅かれ早かれ
誰しもが例外なく
帰還する
ぼくらの故郷であり
真実のぼくらの姿
そのもの
です




みなさんが
ぼくが差し出した手に
ゆだねてくださるなら
その
もう片方の手を
イエスは
釈迦は
池田晶子さんは
多くの
「1」以上のビジョン
垣間見てきた
先人たちは
その人を
放っておきやしません




成功や失敗
幸運や不運
喜びや悲しみといった
「この世のものさし」が
土足では
踏み入れない
踏み入れさせない
豊かなものを
ともに
形作りましょう^^






今日も
ありがとうございました





人気ブログランキング





2019年の1月より
有料メルマガ

友資の『アースフルネスビジョンで彩る豊かな人生』

創刊します


メルマガでは
「アースフルネスライフを生きる」の
記事についての動画解説

いただいた質問に
動画でお答えするコーナー
をメインに
ブログではなかなかお話できないことや
脳科学微生物学からひも解く
アースフルネスや精神世界のお話
社会をアースフルネスに読み解くお話や
ぼく独自の健康法や体験談
その他にも
手探り手探りで
人生を豊かにしうる
思いつく限りのあらゆるトピックに
踏み込んだコンテンツを
設けていきます

くだらない質問でも
切実な悩みでも
単なる報告でも
可能な限り
動画でレスポンスさせていただき
向き合わせていただきますので
ぼくと購読者のみなさんとの
円環のなかで
ともにアースフルネスライフを
はぐくんでいきませんか


はぐくんでいきませんか

動画でお応えする
質問に関しては
こちらからどうぞ↓
tomophex777@yahoo.co.jp




不可解
かつ
敷居が高く見られてしまう
ぼくのブログですが
まったくそんなことはない
ということが
メルマガを通じて
感じてもらえると思うので
どうか気楽に
気構えず遊びにいらしてください



初月無料ということで
お気に召さなければ
いつでも解約可能です




セミナーやセッションには
もちろん
それぞれの良さが
あるのですが
それらのものは
一回だけで
何千円何万円と
決して安くはない金額を要し
まったく同じものを
くり返し見ることができませんが
メルマガ動画でのやり取りは
好きなときに
好きなだけ
半永久的に確認や復習ができるうえに
じっくりと練ってから
好きなタイミングで
好きな質問や意見を
送っていただけますし
月4回のうち2回が動画配信として
1回が300円ちょっとで
残り2回の文字の記事も併せて
何度も見れると考えれば
交通費もかからず
コスパという意味でも
申し分ないかと思います




世知辛い時代に在りながら
税抜き620円の身銭を
切ってくださる
購読者のみなさんに
620円以上の価値を
お届けできるよう
精進して参ります

ニーチェが歩んだスピノザとの「二人連れの孤独」

哲学に
興味がない方でも
一度は誰でも
耳にする
「神は死んだ」
「永劫回帰」
言葉でお馴染の
フリードリヒ・ニーチェもまた
「スピノザの神」を信じたアインシュタイン
の記事の
アインシュタイン同様
17世紀
オランダの哲学者
スピノザ
共鳴した一人なのですが
Nietzsche187a1_convert_20181127114937.jpg
出典:www.the-philosophy.com



ニーチェは
スピノザ萌えな
自身の想いを
友人のオーヴァーベクへの
手紙の中で
こんなふうに
熱烈に告白しました




僕はすっかりびっくりして
うっとりしているんだ!

僕には先駆者がいるのだ
なんという先駆者だろう!

僕はほとんどスピノザを知らなかった
僕がいま彼をもとめたというのは
ひとつの「本能的な行為」であったのだ

《中略》

むろん相違したところは大いにあるが
それはむしろ時代や文化の
または学術上の相違した点にあるのだ

つまりだね
高い高い山に登ったときのように
ときどき僕の息をつまらせたり
血を流させたりした
僕の孤独が
すくなくともいまは
二人連れの孤独なのだ

──ふしぎだね!




「ニーチェ全集」 書簡集 第1







ぼくは
ひとつは
この手紙の中の

むろん相違したところは大いにあるが
それはむしろ時代や文化の
または学術上の相違した点にあるのだ


という部分に
着目します




ニーチェのこの
時代を超えた
広いまなざしは
とても
「1」の世界的だなあって
思うんですね



どういうことかといいますと
スピノザにしろ
ニーチェにしろ
イエスにしろ
釈迦(ブッダ)にしろ
いかなる先人も
時代や文化の空気
その国のルールや
その地に根付いた
宗教観や人生観が
先にそこにあって

おのおの
その時代や文化に
則した手段や
届けたい対象者に
刺さる表現や構成を
模索しながら

その時代や文化
社会体制や
世間的様相を
かんがみながら
自分がその時点で
保持する
最善の手ふだを
選び出し
言葉や表現を
選んだ
はずだからです





仮に
上記の4人が
2018年の現代を
生きていたなら
その伝達手段は
youtubeだったかもしれませんし
SNSだったかもしれなくて
格式高い
イメージの4人ですが
選ぶ言葉だって
もっと砕けた
拍子抜けするようなもの
だったかもしれませんし
思想哲学も
まったく違ったものに
なっていたかもしれません




みんな
みんな
ケースバイケースで
たとえそれが
利己的なものだろうと
利他的なものだろうと
そのとき
そのときの
その人にとっての
最善と思える
選択の連鎖が
現在にまで
つながってきた
それが
人類史であり

ニーチェが提唱した
「永劫回帰」は
自らの
日々の
選択の連鎖を
全肯定することを
求めます





ただし
自発的な
「超人」としての覚醒と
強靭な自己肯定
とを
求めた
ニーチェに対し

「エチカ」における
スピノザは
自発的であることも
自己肯定も
自己否定も
いっさい
提唱しません





そして
ニーチェの言う
「二人連れの孤独」とは
ただならぬ
思い入れを
禁じえませんが

もはやそれは
春日太一さんが語る 時代劇ブロマンスに見る「愛」の本質
の記事における
椿三十郎(三船敏郎)
宿敵半兵衛(仲代達也)
斬りあいのような
肉体的交わりなき
まぐわい
と言っても
過言ではない
濃密なブロマンスを
思い起こさせます




孤独に
さいなまれ
苦しい思いを
されている方は
ニーチェのように
誰より近くに感じれる
同じ孤独を抱える
誰かと
二人連れの孤独を
歩む
こともまた
ひとつの答えかもしれません





ですが
スピノザの研究者で
大阪大学の
上野修教授
二人の「孤独」には
決定的な違いがある
ことを
こんなふうに述べます
※()はぼくが付け足しました



ニーチェは「神の死」を
引き受けようとして
孤独だったのに対し
スピノザは彼の神とともにいた。

誰の手も煩わせずに
いわば(自分一人で)勝手に
救われていたのである。

上野修著
「スピノザの世界」





晩年
ニーチェが発狂した
その真相は
諸説ありますが
ニーチェは
「スピノザの神(「1」の世界)」の
核心部分
には
共鳴することができず
結局のところ
「一人連れの孤独」
最期のときまで
歩みつづけたのかもしれません





今日も
ありがとうございました





人気ブログランキング

「スピノザの神」を信じたアインシュタイン

本日もお越しいただき
ありがとうございます



昨日の記事
「1」の世界(縁起の世界)の先に
「神」を導き出そうとした哲学者「スピノザ」
では
17世紀オランダの哲学者
スピノザ
取り上げましたが




実は
このスピノザ哲学を
こよなく愛した
著名な物理学者がいます
スピノザと同じ
ユダヤ人である
相対性理論
生みの親
アルベルト・アインシュタインです
43060130_convert_20181120123812.jpg
出典:acfreemasons3821.blog.jp





ユダヤ教の
宗教指導者(ラビ)から
「あなたは神を信じますか?」
質問を受けた
アインシュタインは
「私は
スピノザの神を信じている
それは
この世界の
秩序ある調和の中に
自身があらわされる神であって
人間の運命や
行動にかかわる神ではない」

返答したという
逸話があります




この話を
小耳に挟んだとき
ぞわっと
鳥肌が立ったのを
忘れることができません




なぜなら
相対性理論もまた
「1」の世界的な
発想に基づいた
理論である

ということだけは
数学的な教養がない
ぼくでも
把握できていた
ことだからです



天動説と
地動説にまつわる
人間の思い込み

同様に
それまで
自明の真理であり
常識であり
絶対とされてきた
「時間と空間は
永遠に変わらない」
という
思い込み


グーグルアースのように
より高い地点と
より俯瞰した
全体性から
時間や空間
質量やエネルギーを
とらえ直した

アインシュタインの
アースフルなビジョンは
スピノザなくしては
なかったのかもしれません
(あるいは逆に
そのビジョンの素質を
すでに持っていたからこそ
スピノザに共鳴を
覚えたのかもしれませんね)




この辺のお話に
さらに踏み込んでいくと
もっと面白いお話が
できるのですが
おそらく
あまりに
濃い内容になってしまうので笑
今回は
この程度にとどめて
なんらかの形で
お話ししたいと思います




というよりも
そもそも
「1」の世界
そのものが
いまだに
わからないという方が
ほとんどなのに
読者のみなさんを
さらに
置き去りにしかねません




「1」の世界の
動画解説などと
併せて
お話するのが
もしかしたら
いいかもしれませんね




楽しみに
していてください(^-^)

今日も
ありがとうございました



人気ブログランキング

ランキングに参加しております。

プロフィール

 友資

このブログの筆者: 友資


初めて訪問された方は、
  vol.1「アースフルネス」ってなに?前編の動画を見ていただくか、


初投稿記事
  「アースフルネス」とは?前編
をクリックいただけましたら幸いです。

以下の
アースフルネス「7」ビジョンについての解説は、
哲学やスピリチュアルに馴染のない方は
難しく感じるかもしれません。
それぞれの世界の動画解説もあるので
まずは動画をみていただくことを
お勧めします。

  「2」の世界(天秤世界&父性世界)についての解説
  「1」の世界(縁起世界&母性世界への扉)についての解説 前編  後編
  「0」の世界(悟り世界&母性世界)についての解説 前編  後編

いずれもこのブログの
骨格を成す記事で、
このブログだけの「公理(ものさし)」でもあります。

カテゴリ

入力した語句が含まれる記事を探せます。

直接に伝えたい用件がある方はこちらからどうぞ。

名前:
メール:
件名:
本文:

ツイッターもやってます。

アースフルネス「7」ビジョン

画像をクリックすると拡大します
ここをクリック

QRコード

QR