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見えるものと見えないものは「道(タオ)」の胎内で踊り続ける 『老子道徳経』體道第一

「老子」
という
存在したのか
しなかったのかも
定かでない
古代中国の
伝説の賢者であり
思想家であり
哲学者が
残した言葉とされる
全81章から成る
「道徳経」という書物

第一章が
以下のとおりなのですが
ae4bbf432d7a347a7d7b6f051b071f94_XL_convert_20181117164655.jpg
出典:www.revistaesfinge.com





道可道
非常道

名可名
非常名

無名天地之始
有名萬物之母


常無欲以觀其妙
常有欲以觀其徼

此兩者同出而異名

同謂之玄

玄之又玄
衆妙之門



『老子道徳経』全81章
體道第一







いまなお
様々な訳が
発表され
難解だとされてきた
老子の言葉ですが

そもそも老子は
理解を求めて
この一章を
残したのではなく
ブルース・リー
「考えるな、感じろ」
ではありませんが
感じてもらうために
書いたとも
ぼくには思えますね




これを
先人のいくつかの
和訳を参考に
アースフルネス流
超訳したものが
以下のものです



ぜひ
「道(タオ)」の部分を
「神」もしくは
「0」の世界に置き換え
読んでみてください



ぼくが
ブログの中で
「神」
言葉にしたり
「0」の世界
言葉にするものを
感じてもらえるかもしれません







「道(タオ)」
生き方だとか
人生の道しるべ
なんかじゃないんだ

「道(タオ)」
言葉で
言い表せたり
名前が
付けられるもの
なんかでもないんだ




「道(タオ)」
母なる愛を
継受し
湧きいづることになった
すべての言葉と
すべての万物
相対するすべての
無(見えないもの)
有(見えるもの)とは
「道(タオ)」
その胎内で
踊り始めたよ




だからこそ
無(見えないもの)
常に
目には見えない形で
「道(タオ)」
その不可思議を
見てみたいと
欲し

有(見えるもの)は
常に
目に見える形で
「道(タオ)」
その姿形を
見てみたいと
欲し続けるのさ




この
「有」と
「無」とは
同じ
母なる「道(タオ)」
みなもとに
名を異にしているもの
ただそれだけのことさ

言わずもがな
きみのなかにも
「有(肉体)」と
「無(こころ)」とが
宿されているだろう?




両者は別名
「2」の世界とも言い
「2」の世界の
その先には
「道(タオ)」への
扉(「1」の世界)
ひらかれているんだ









今日も
ありがとうございました




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「すべてのみえるものは、みえないものにさわっている」染織家・志村ふくみ

本当のものは、
みえるものの奥にあって、
物や形にとどめておくことの出来ない領域のもの、
海や空の青さもまた
そういう聖域のものなのでしょう。

この地球上に
最も広大な領域を占める青と緑を
直接に染め出すことが出来ないとしたら、
自然のどこに、
その色を染め出すことの出来るものが
ひそんでいるのでしょう。




染織家であり
随筆家でもある
人間国宝
志村ふくみさんの著作
「色と糸と織と」から
ひかせていただいた言葉です
志村ふくみの肖像写真_convert_20181114133113
出典:fr.wikipedia.org





ぼくも一時期
白や淡色の洋服を
安価で見つけてきては
ダイロン染料で
タイダイ染めにしたり
ムラ染めにしたりしながら
遊んでいた時期がありましたが
採集した草木だけでの
染め物は
まだ未体験ですね




ところで
最初にご紹介した
志村さんの言葉
志村さんが
何を言わんと
しているのかと言えば──




「0」の世界です




そして
映画「君の名は。」に見る「常世(とこよ)」と「現世(うつしよ)」
記事でいうところの
「常世(とこよ)」「隠世(かくりよ)」
領域のことです




さらには
イエスとパウロの言葉に垣間見る「自己愛」の真実
の記事における
「自己愛」の
領域
とも
言うことができます





すべてのみえるものは、
みえないものにさわっている。

きこえるものは、
きこえないものにさわっている。

感じられるものは、
感じられないものにさわっている。

おそらく、
考えられるものは、
考えられないものにさわっているだろう。





上記の詩は
志村さんが
共鳴することを
禁じ得なかったという
18世紀のドイツを生きた
ノヴァーリスという
詩人の言葉を
志村さんが
引用したものですが




厳密には
ノヴァーリスの原語を
渡辺格司(わたなべかくじ)という
ドイツ文学者が
日本語に訳し
渡辺格司の訳を
大岡信(おおおかまこと)という
詩人が再解釈し
それを志村さんがまた
再解釈したものです




たましいに
ふれるような
共鳴のいとなみは
ノヴァーリスと
志村さんと
渡辺格司さんと
大岡信さんと
ぼくと
読んでくださった
みなさんとが

この記事の中で
時空を超えて
ふれあったように──




ぼくたちは
みえないもの
きこえないもの
感じられないもの
考えられないものを
巡りながら
ずっとずっと
人と人とを
繋いできましたし
これから先も
繋がりの連鎖が
終焉を迎えることは
誰にとっても
心配無用のようです




というよりも
最初から
最後まで
つながりっぱなし




時間も空間も
主観も客観も
超えた領域の中で
ぼくたちは
いつだって
肉体よりも
近いところで
ふれあっています





今日も
ありがとうございました





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我を見失っているときにこそ「あわてるこたーない」 スラムダンク《仙道彰》

本日もお越しいただき
ありがとうございます


あと
もう一歩で
完成のところまで
さしかかった
おのおのの人間が持つ
「視点のものさし」作り
aka(別名)
アースフルネス「7」ビジョン
ですが




自分の
はやるこころの動きに
フォーカスしているとき
思い出された人物が
最近になって
新装再編版
出版された
井上雄彦さんの
伝説的スポ根漫画
「スラムダンク」に登場する
仙道彰(せんどうあきら)という
キャラクターです
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おそらく
仙道彰という人物は
残された時間が
残り少ないという
状況であれば
あるほどに

あせって
あわてて
自分を見失っているような
状況であれば
あるほどに



「あわてるこたーない」




誰より先に
自分に言い聞かせ
そして
周囲にも言い聞かせる
そんな人物です
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スラムダンクの
登場人物の中でも
もっとも
アースフルネスにおける
「結論を急がない」姿勢
大切にしているのが
仙道であると
言えるかもしれません





「あわてるこたーない」





これは
あせってる自分
落ち着かない自分を
いったん
ニュートラルへと
戻してくれる
魔法のアファメーション(潜在意識への働きかけ)
なりえるかもしれません





もちろんそれでも
あわてるしかないことだって
起こりえるのが
この
「リアル人生ゲーム」なわけですが





それでもなお
意識していきたい姿勢は
「あわてるこたーない」の
ひとことに尽きると
ぼくはそんなふうに
思いますね(^-^)





そんなわけで
今日も一日──



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「友だち幻想/菅野仁著」から読み解くアースフルネス 後編

本日もお越しいただき
ありがとうございます


昨日の記事
「友だち幻想/菅野仁著」から読み解くアースフルネス 前編
続きです



昨日は
サバンナの泉のほとりに
たくさんの種類の動物が
「われ関せず」といった様相で
水を飲んでいて
平和な空間を
共有しているがごとく
並存する

そんな「ルール作り」が
今こそ必要なのだと
「友だち幻想」の著者
菅野仁さんが
提唱している

というところまで
お話ししました



では
どうして
「ルール作り」こそが
「並存」を
うながす
のか




菅野さんは
これまでの
学校の在り方が
「僕たちは同じように考えてるし
同じ価値観を共有して
同じことで泣いたり笑ったりする
結びつきの強い全体だよね」

という
なんとなくの雰囲気
根拠のない
「感情論」的なつながり
だったと
洞察するんですね
(これを菅野さんは
「フィーリング共有関係」
と呼んでます)



対して
「ルール作り」は
おのおののスポーツに
「参加者全員が
これ以上のことはしてはいけない」
という
最低限の規定があるような
「理性論」
言うことができるかもしれません




もちろん
現行の
学校や社会にも
ルール(理性論)はあります



ですが
学校の場合は特に
「感情論」に
比重が傾きすぎている
がために
息苦しさや
疎外感を
覚える子供が
多くなっている
というわけです




なるほど確かに
集団的な
「感情論」や
「同調圧力」によって
引き起こされた
ルワンダや
インドネシアの
大虐殺の歴史

オウム真理教の事件
ひもといてみれば──

「いじめ」
「強制」もまた
「感情論」的なものであることが
見えてきます





ルールは「自由のため」にある!
とは
菅野さんの言葉ですが
「ルール」とは
言い方を換えれば
「不自由」でもあります




ですが
アースフルなビジョンで
「自由」と「不自由」の
その本質を見極めるなら
「闇」なきところに
「光」が認識できないのと同様
「不自由」なきところに
「自由」はない

言うことができます





相手の気持ちを
覗けないように
こころが成り立ってることは
「不自由」にちがいありません
ですが
だからこそぼくらは
想像力の翼を
はためかせ
相手の気持ちを
自分のビジョンで
想像できるという
「自由」があります





100%確実な
願望実現法が
存在しないこともまた
やはり
不自由にちがいありません
ですが
だからこそぼくらは
その願望を
実現させるための
自分なりの
創意工夫と
思考錯誤を
重ねられるという
「自由」があります





トム・クルーズ
骨折がなかったなら
ミッションインポッシブル
フォールアウト

完成しなかったこともまた
「不自由」がもたらした
「自由」にちがいありません

問題が起きたときこそチャンスなんです 
ミッションインポッシブル/フォールアウト






このようにして
この世界は
いつなんどきも
「不自由」と
引き換えにしか
「自由」を
手に入れることが
できないように
できてしまっているわけです





とはいえ
あまりに偏った
制限や
規則が多すぎるルール(不自由)は
バランスがよくありません



他人を
いじめる自由がある
ということは同時に
「自分自身」もまた
いじめられる自由が
ある
ことを意味します





そしてときには
「感情論」だって大切です

集団の結束力が
必要とされる
いち企業や
団体スポーツを考えれば
「理性」それだけで
ものごとのすべてが
うまくは進んでいかないことは
一目瞭然です







なので菅野さんは
自分自身の自由のためにも
他人に不要な
身体的精神的ダメージを
負わせたりすることのない
お互いの並存(自由)
保障された
「最低限のルール」
築いていこうよ

提唱するわけです





ですがぼくは
アースフルなビジョンでもって
こうも思います

菅野さんにもし
人間関係に悩む
娘さんの存在や
息苦しい現代社会という
現実問題がなかったなら──

その「不自由」を
破砕するための
創意工夫や
人と人とのつながりを
いいものにするための
「情熱」という
「自由」は
生まれえなかったと






今日も
ありがとうございました


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ぼくがピックアップした部分は
本書の一部にすぎません
ぜひ全体を通して
一読されることを
おすすめします




著者の菅野仁さんが
逝去された五ヶ月後
執筆のきっかけとなった
娘さんもまた
あとを追うように
逝去されたそうです

二人の想いが
この先の世界に
結実しますように





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「友だち幻想/菅野仁著」から読み解くアースフルネス 前編

本日もお越しいただき
ありがとうございます


10年前に書かれた本
「友だち幻想」
現在になって
脚光を浴びているとのことで

椎名林檎さんと並んで
「話し言葉」が素敵だなあと
ぼくがつねづね感じている
タレントの壇蜜さんが
帯でお勧めしていることや
タイトルもタイトルで
興味をそそるものだったので
思わず
手に取りました




「友だち幻想」は
なにも
「友だちなんてみんな嘘っぱち」的な
ニヒリズム(空虚)を訴えた
作品ではなく
誰しもが
人生のいち大テーマにすえ置く
「どうしたら人は幸せになれるのか?」
について
人と人との繋がりのなかから
見い出すことを試みた
「希望の書」です




かつて
インターネットが
普及する以前の
貧しい時代の日本では
他者と「同調」すること
生きていくために
不可欠なもので
「出る杭は打たれる」
「長い物には巻かれろ」

といった
強い同調圧力の
その反面
「お互いを支えあい
助け合う」

という意識もまた
とても強い
そんな時代でしたが

人々の意識は
核家族化の進行や
インターネットの普及とともに
「集団」から
「個」の尊重へと
移り変わり
その流れは今もなお
リアルタイムで
加速中です





ところが
菅野さんは
一見すると
「個」が尊重される
時代になったかに見えて
実は
新たな形の
「同調圧力」が
生まれ始めている

推察するんですね
(菅野さんは
「ネオ共同性」という造語で
これを記してます)




たとえば
SNSなんかがそうですね
既読スルーはご法度で
返事をしなければ
「いいね」をしなければ
「無言の反逆」とみなされ
仲間外れにされる
いじめに遭ってしまう

「フォロー」しなければ
友だちじゃないと
応援していないと
誤解されてしまうのでは
という一抹の不安

逆に
「フォロー」されなければ
あの人は自分を
嫌っているんだろうか
その程度の
関係性なのだろうか
などと
不要な疑心暗鬼を
引き起こす
そういう
新しい形の「同調圧力」
若者だけにとどまらず
大人のあいだにまで
うずまいています




学校もまた
最近になって
「個」の尊重
かかげるようにはなったものの
「みんな仲良く」
「一丸となって」

といった
同調的スローガンをも
同時にかかげるという
矛盾したダブルスタンダード
いまだに消えることなく
残っています

当然ながら
そんな矛盾に
うまく合わせられない子供や
「みんな仲良く」を
押し売りされてると
感じる子供は
学校が
息苦しくなります




しかも
表向きは
そんなキレイごとを
かかげておきながら
「数字での評価」という
競争システムが
学校には
組み込まれていますから

それを補いうる
容姿の良さや
芸術的才能や
運動能力など
自己肯定できうる
なんらかの能力がない
そんな子供もまた
劣等感や
疎外感により
学校が
息苦しくなります




社会に出たなら
さらなる
「人としての評価の数値化」
さらされますから
そんな子供が
社会に出たなら
ますます行き場を
失ってしまいます





そこで菅野さんは
「並存」
というキーワードを
持ち出します




子供に限らず
大人にだって
どうしても
好きになれない人間や
理屈を超えて
合わない人間が
さけがたく
現れます

そんな人とは
ムリにかかわることなく
ムリなく
距離を置けるような

サバンナの泉のほとりに
たくさんの種類の動物が
「われ関せず」といった様相で
水を飲んでいて
平和な空間を
共有しているがごとく
並存する


そんな「ルール作り」
今こそ必要なのだと
菅野さんはいうんですね






まだ
本の説明だけしか
進んでませんが
ごめんなさい
長くなってしまったので
続きは明日へゆだねます

今日も
ありがとうございました



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エボシカメレオン(ちんさん)
こういうの見ると
キレイにぜんぶ剥がしたくなる



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プロフィール

 友資

このブログの筆者: 友資


初めて訪問された方は、
初投稿記事
  「アースフルネス」とは? 前編
をクリックいただけましたら幸いです。

以下の
アースフルネス「7」ビジョンについての解説は、
哲学やスピリチュアルに馴染のない方は
難しく感じるかもしれません。
わからないところがあれば、遠慮なく質問してください。

  「2」の世界(因果の世界)についての解説
  「1」の世界(縁起の世界)についての解説 前編  後編
  「0」の世界(悟りの世界)についての解説 前編  後編

いずれもこのブログの
骨格を成す記事で、
このブログだけの「公理」でもあります。

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