FC2ブログ

「0」の世界(悟りの世界)の解説 前編 ~アースフルネス「7」ビジョン

本日もお越しいただき
ありがとうございます



昨日の記事
「1」の世界(縁起の世界)の解説 後編
の続き

「0」の世界(悟りの世界)の
解説の「前編」
です
ここをクリック






「0」の世界の
ビジョンに関しては
「わかった!」
思えた人ほど
あるいは
その全能感に
酩酊してしまった人ほど
用心が必要だと
ぼくは考えます

ぼく自身も
体験直後
しばらくは
全能感と
陶酔感とで
いっぱいでした




「悟り系スピリチュアル」
(ぼくは
「0人称スピリチュアル」
とも呼びます)
と呼ばれる
ジャンルの人々は
「0」のビジョン(悟り)についての
ビジネス展開

行ったわけですが
詐欺師扱いされたり
怠け者扱いされたりと
いまだに
そのジャンルへの批判は
あとを絶ちませんし
ここ数年を境に
活躍されていた
ほとんどの人が
表舞台から
消えてしまいました




ぼくが
察するに
悟り系スピリチュアルが
大きくビジネス展開
されていくに連れ

「2」の世界を
「幻想」
「空っぽ」

言い表す声もまた
比例して
大きくなっていってしまい

インターネット時代の
情報拡散スピードも
手伝って
「2」の世界を
あまりに軽んじていると
受け止めた人々が
批判のうねりを
作り出していったのだと
解釈しています




なので
「0」の世界を
他者に伝えたい衝動を
止められない方は
批判を受ける
覚悟がある方だけ
孤立する
覚悟がある方だけ
そうすることを
お勧めします





いずれにしても
この世界は
この先も
「2」の世界ビジョンを
中心としてしか
まわっていくことはないので
「2」の世界への
惜しみないリスペクトを
忘れないことが
「2」の世界ビジョンの人との
無自覚なズレを埋め
入鄽垂手(にってんすいしゅ)の生き方に
導いてくれる

そんなふうに
ぼくは思います





それにしても
誰が考えたのかは
知りませんが
「ない」
「無」
「ゼロ」

という状態を
表す字づらとして
「0」という形
用いられ
表現されたことは
なんだかとても
象徴的です




この全宇宙が
まさに
円運動の
「循環」によって
構成されていて

円運動に
身を任せる
すべての
星々や
地球もまた
円(ゼロ)の形をしています




加えて
「円(0)」と
「縁(1であり2でもある)」とが
同じ読み方をし
なおかつ
それらのものが
実は
ゼロ(無)なんだよ
というところに
帰結する
この「円形のゼロ」というものは
深遠な
神秘でありながら
大爆笑を
発火させかねない
一撃必殺を
兼ね備えています






通常
「2」のビジョンの
認識
であれば
直線上の
端に「過去」
端に「未来」があって
人は
「過去」から
「未来」へと
進んでいるように
認識しています
無題_convert_20180926202814





ところが
「0」の世界では
「0」の字の形と
「0」の文字の意味と
二つの意味で
「過去」も
「未来」も
消え去ってしまう
んですね
無題1_convert_20180926202827





このとおり
まるのなかの
どこに「過去」を置き
どこに「未来」を置けと
いうのでしょうか





なるほど確かに
ぼくら人間は
いつなんどきでも
「現在」からしか
「過去」と「未来」に
アクセスすることが
できません

よって
「0」の中には
「現在だけがある」
認めればよいのか?




ところがその
「現在」
「いま」もまた
知覚
認識したその時点で
ときすでに遅しで

「いま」より
0コンマ何秒か遅れた
「過去」
をしか
ぼくら人間は
認識できないこと

思い知らされることに
なってしまいます




よって
「0」のビジョンにおいて
「時間」という概念は
「循環」するものであるのと同時に
「実体のないもの」
つまり
「幻想」なのです






「時間」に限りません
「0」の世界の
住人にとって
対義のペアの
タペストリーで
織りなされた
「2」の世界の
あらゆる概念の
境界線は
消えてなくなり
そして
「自分自身」すらもが
「実体なき幻想」

であることを
体感的に
自覚することになるのです




でもぼくは
たとえ幻想だとしても
「ある」と仮定しながら
生きる
ほうが
個人的には好みです
(動物や虫を
擬人化すると
面白くなることに
ちょっと似てますね)




ほんとに
どうにもならないとき
ピンチのとき
ここぞ!というときに
「ない」という必殺技は
発動させればよい

という考え方を
提案したいですね





2600年前
ブッダ(釈迦)
おそらくは
「0」ビジョンに近い
少数派の修行者
に向けて
「私はいない(行為者はいない)」
言い表し

初期仏教から
派生した
大乗仏教では
その幻想性を
「空(くう)」という一字で
言い表し

冒頭の
悟り系スピリチュアルなどは
それを
「非二元」
「ノンデュアリティ」

言い表しました




ビリヤードの球が
停止することなく
相互に影響しあいながら
オートマチックに
流動し
循環をくり返す
肉体の反応や
こころの動きという
幻想の様を
「自分」として
「体験」として
味わいながらも
一方で
川の流れを
眺めているかのように
他人ごとのように
見つめている
二元性を超えた
視点がある





どこか
マインドフルネスにも
通ずる
世界観ですが

それもそのはず
マインドフルネスだって
その「源流」は
「0」の世界にあります

行き着くところは
同じ「0」地点です





それが
⦅P6⦆ビジョンにおける
「2」と「1」の世界の幻想性の認識
「0」の世界(悟りの世界)の
ビジョン


起こることが
ただただ
起き続けているだけ

というような
身もふたもない
因果の認識なので
「運命」という概念もまた
意味をなさなくなってしまいます




それでは
この世界の
なにもかもが
「幻想」
「無」
「ゼロ」
なのだとしたら

確かに
これだけは
「ある!」と
言い切れる

そんなものは
どこにもないものなのでしょうか?





前編は
ここまでということで

後編
以下のタイトルを
クリックしてください

今日も
ありがとうございました


「0」の世界(悟りの世界)の解説 後編 ~アースフルネス「7」ビジョン




人気ブログランキング
関連記事
スポンサーサイト

コメント

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
非公開コメント

アースフルネス「7」ビジョン

画像をクリックすると拡大します
ここをクリック

プロフィール

 友資

このブログの筆者: 友資


初めて訪問された方は、
初投稿記事
  「アースフルネス」とは? 前編
をクリックいただけましたら幸いです。

以下の
アースフルネス「7」ビジョンについての解説は、
哲学やスピリチュアルに馴染のない方は
難しく感じるかもしれません。
わからないところがあれば、遠慮なく質問してください。

  「2」の世界(因果の世界)についての解説
  「1」の世界(縁起の世界)についての解説 前編  後編
  「0」の世界(悟りの世界)についての解説 前編  後編

いずれもこのブログの
骨格を成す記事で、
このブログだけの「公理」でもあります。

ランキングに参加しております。

入力した語句が含まれる記事を探せます。

ツイッターもやってます。

直接に伝えたい用件がある方はこちらからどうぞ。

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード

QR