2018/09/04
フロントガラスの汚れを落とすと人生(ドライブ)は豊かになる
本日もお越しいただき
ありがとうございます
今日はというと
「生きる」という行為を
「自動車の運転」に
置き換えながら
有意義なドライブ(人生)を
楽しむためには
どうすればいいのか
その答えを探す
試みをしてみたいと
思い立ちました
ぼくたち人間は
生きる過程の中で
何かしらの
タイミングで
何かしらの
目的地を見い出し──
そこまでの道順を
調べたり
道に迷ったり
引き返したり
急ブレーキしてみたり
ウインカーを出し忘れたり
渋滞に巻き込まれたり
当て逃げされたり
事故を起こしてしまったりと
様々な出来事に
遭遇するわけですが
100%クリアな
フロントガラス
リアガラス
ドアガラスを
そろえている人は
この世には
一人もおりません
それはあの
ブッダ(釈迦)ですらも
そうです
ぼくたちは
あまりに長い距離を
運転してきたため
ガラスがひどく汚れ
視界が相当に
悪くなっていることに
気づかないまま
あたり前の日々を
あたり前に
過ごしているのですが

出典:robertfinkelstein.wordpress.com
覚者として
崇められるようになってなお
自分自身も含め
誰しもに
程度の差こそあれ
汚れはあることを
うわっつらの
知識ではなく
カラダで
「自覚できている」
というところに
ブッダが獲得した
アースフルな柔軟性を
びんびんに感じます
汚れが少ない
ということは
視界がとても
良好なことは
容易に
想像がつきますよね
ガラスから見える
視界が良好であることを
ぼくたちの人生に
置き換えるなら
自分自身や
この世界の
あらゆる現象を
「あるがままに
とらえられているか
否か」
というところに
繋がっていきます
マインドフルネス的
ビジョンですね
「あるがままの世界」とは
簡単に言えば
判断や解釈(主観)が
取り除かれた
世界のことなのですが
初投稿記事
アースフルネスとは? 前編
でも
お話ししているとおり
「主観汚れ」を
100%完全に
きれいさっぱり
取り除くことは
いかなる聖人にも
不可能なことで
仮に
取り除くことに
成功したなら
そのことは
ある意味
この世界を
完全に
認識できなくなった状態
つまり
「存在の消失」か
「死」を意味します
肉体を持っている
ということは
主観を持っている
ということと
不可分(セット)
というわけです
人生には
自分は
「間違ってない」と
確信していたはずが
実は
「間違っていた」と
気づかされることが
往々にしてあります
「嫌いだった」
はずが
「好きになってしまった」
などという
ラブコメチックな展開だって
人間関係に限らず
食べ物や仕事や
趣味においても
よくあることですよね
軽度の汚れによる
うっかり解釈は
上記の
ラブコメケースのように
ときに
人生のうま味を
引き出す
「スパイス」となりますが
重度の汚れの
厄介なところは
せっかくの
楽しいドライブを
ムダに長く
気分がわるいまま
過ごすことに
させてしまったり
思い込みや
妄想が
暴走すれば
暴走するほどに
車中の空気は
わるくなり
景色を眺める
余裕すらなくなる
といった
せっかくのドライブを
台無しにしてしまうほどの
「読み違い」を
してしまうところにあります
アースフルネスな
ビジョンを養うことは
自らのガラスを
少しずつ
少しずつ
拭き取る役割を
果たしてくれます
泥が跳ねて
再び汚れることも
走っている(生きている)のですから
仕方のないことですが
アースフルなダスターは
コーティング効果も
期待できるので
だんだんと汚れは
付きにくくもなっていきます
景色が
今までよりも
よく見えるぶん
車間距離の取り方が
上手になりますし
制限速度や
進入禁止や
一時停止の標識が
よく見えるようになるので
思い違いの
急ブレーキや
偏見から来る
急発進も
少なくなり
小さな
事故はあっても
大きな事故までは
起こしにくくなります
そして
汚れの隙間から
わずかに見えていた
世界だけが
この世界のすべてだと
思い込んでいないので
どの人にも
様々な「正しさ」や
「間違い」があり
様々な「事情」があり
「言いぶん」がある
という
多角性と
多面性を
世界に見ることになります
それは
ドライブに
落ち着きと安らぎを
与えてくれます
ドライブに
豊かさと
奥ゆきを
与えてくれます
認めることができる
他者が増える
ということは
同時に
自分自身を
認めてあげれるということと
決して
切り離せないからです
見やすくなった
フロントガラスから
見える景色の中で
目的地が
輪郭を帯びてきて
行ってみたい場所や
やってみたいことに
突き動かされ
迷わず
アクセルを
踏み込まずには
いられないのなら──
それはきっと
あたなが本当に
やるべきことです
今日も
ありがとうございました

お昼寝中

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今日はというと
「生きる」という行為を
「自動車の運転」に
置き換えながら
有意義なドライブ(人生)を
楽しむためには
どうすればいいのか
その答えを探す
試みをしてみたいと
思い立ちました
ぼくたち人間は
生きる過程の中で
何かしらの
タイミングで
何かしらの
目的地を見い出し──
そこまでの道順を
調べたり
道に迷ったり
引き返したり
急ブレーキしてみたり
ウインカーを出し忘れたり
渋滞に巻き込まれたり
当て逃げされたり
事故を起こしてしまったりと
様々な出来事に
遭遇するわけですが
100%クリアな
フロントガラス
リアガラス
ドアガラスを
そろえている人は
この世には
一人もおりません
それはあの
ブッダ(釈迦)ですらも
そうです
ぼくたちは
あまりに長い距離を
運転してきたため
ガラスがひどく汚れ
視界が相当に
悪くなっていることに
気づかないまま
あたり前の日々を
あたり前に
過ごしているのですが

出典:robertfinkelstein.wordpress.com
覚者として
崇められるようになってなお
自分自身も含め
誰しもに
程度の差こそあれ
汚れはあることを
うわっつらの
知識ではなく
カラダで
「自覚できている」
というところに
ブッダが獲得した
アースフルな柔軟性を
びんびんに感じます
汚れが少ない
ということは
視界がとても
良好なことは
容易に
想像がつきますよね
ガラスから見える
視界が良好であることを
ぼくたちの人生に
置き換えるなら
自分自身や
この世界の
あらゆる現象を
「あるがままに
とらえられているか
否か」
というところに
繋がっていきます
マインドフルネス的
ビジョンですね
「あるがままの世界」とは
簡単に言えば
判断や解釈(主観)が
取り除かれた
世界のことなのですが
初投稿記事
アースフルネスとは? 前編
でも
お話ししているとおり
「主観汚れ」を
100%完全に
きれいさっぱり
取り除くことは
いかなる聖人にも
不可能なことで
仮に
取り除くことに
成功したなら
そのことは
ある意味
この世界を
完全に
認識できなくなった状態
つまり
「存在の消失」か
「死」を意味します
肉体を持っている
ということは
主観を持っている
ということと
不可分(セット)
というわけです
人生には
自分は
「間違ってない」と
確信していたはずが
実は
「間違っていた」と
気づかされることが
往々にしてあります
「嫌いだった」
はずが
「好きになってしまった」
などという
ラブコメチックな展開だって
人間関係に限らず
食べ物や仕事や
趣味においても
よくあることですよね
軽度の汚れによる
うっかり解釈は
上記の
ラブコメケースのように
ときに
人生のうま味を
引き出す
「スパイス」となりますが
重度の汚れの
厄介なところは
せっかくの
楽しいドライブを
ムダに長く
気分がわるいまま
過ごすことに
させてしまったり
思い込みや
妄想が
暴走すれば
暴走するほどに
車中の空気は
わるくなり
景色を眺める
余裕すらなくなる
といった
せっかくのドライブを
台無しにしてしまうほどの
「読み違い」を
してしまうところにあります
アースフルネスな
ビジョンを養うことは
自らのガラスを
少しずつ
少しずつ
拭き取る役割を
果たしてくれます
泥が跳ねて
再び汚れることも
走っている(生きている)のですから
仕方のないことですが
アースフルなダスターは
コーティング効果も
期待できるので
だんだんと汚れは
付きにくくもなっていきます
景色が
今までよりも
よく見えるぶん
車間距離の取り方が
上手になりますし
制限速度や
進入禁止や
一時停止の標識が
よく見えるようになるので
思い違いの
急ブレーキや
偏見から来る
急発進も
少なくなり
小さな
事故はあっても
大きな事故までは
起こしにくくなります
そして
汚れの隙間から
わずかに見えていた
世界だけが
この世界のすべてだと
思い込んでいないので
どの人にも
様々な「正しさ」や
「間違い」があり
様々な「事情」があり
「言いぶん」がある
という
多角性と
多面性を
世界に見ることになります
それは
ドライブに
落ち着きと安らぎを
与えてくれます
ドライブに
豊かさと
奥ゆきを
与えてくれます
認めることができる
他者が増える
ということは
同時に
自分自身を
認めてあげれるということと
決して
切り離せないからです
見やすくなった
フロントガラスから
見える景色の中で
目的地が
輪郭を帯びてきて
行ってみたい場所や
やってみたいことに
突き動かされ
迷わず
アクセルを
踏み込まずには
いられないのなら──
それはきっと
あたなが本当に
やるべきことです
今日も
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