2018/09/11
ロボット(AIBO)は「こころ」「魂」を宿しているか
本日もお越しいただき
ありがとうございます
ソニーが開発した
人工知能搭載
犬型ペットロボットに
「AIBO」という
製品があるのですが
2014年に
交換部品が
底をつき
サポートサービスが
打ち切られたことによって
飼い主の
切実な想いもむなしく
故障したAIBOを
治す道は
閉ざされたかに
見えました
飼い主の願いを
どうにか叶えようと
AIBOにかかわった
技術者も
設計図もない状態で
修理に乗り出したのが
株式会社ア・ファン
4ヶ月の期間をかけ
修理を成功させた
噂話を聞きつけ
たくさんの
修理依頼と
たくさんの
交換部品としての
「献体(人でいう臓器提供ですね)」が
寄せられた
そうなのですが
持ち主が
可愛がっていたAIBOを
そのまま
解体する気には
なれないと
寄せられた
AIBOの供養を
決行したのが
ア・ファンの
乗松伸幸代表でした


出典:www.nippon.com
つまり
乗松さんは
「ロボットにも
魂があるはずだ」と
考えたわけです
このことは
9月3日の記事
「昆虫」にこころはあるのか?
「昆虫写真家」栗林慧さんに見るアースフルネス
にも
通じるお話です
ぼくは
記事のなかで
昆虫のこころは
昆虫の中にあるのではなく
いつだって
「昆虫にもこころはあると
信じるその人の中にだけ
昆虫のこころは
存在することになる」
と
そう書きました
実はこの
「こころ」の部分は
そのまま
「魂」に置き換えて
読むことも
できそうなんですね
みなさんは
「こころ」と
「魂」の
そのちがいって
なんだと思いますか?
おそらく
このふたつを
明確に
定義できた人物は
過去
一人もいないのではないかと
そう思います
それもそのはず
なぜなら
「こころ」も
「魂」も
ふれることは
できないし
線を引ける
ものでもないし
数字でも
どうしたって
表せないもの
だからこそ
見る人
感じる人の
主観や
とらえる角度
とらえる面によって
いくらでも
変幻自在に
変化するもので
ひとりひとり
その人だけの
「オリジナルの
カタチ」を
やどした何か
であると
言うことが
できるんですね
なので
アースフルに
「こころ」と
「魂」とを
鳥瞰して
読み解くなら
「こころ?
魂?
そんなものないし
感じたこともない」
という
唯物主義者が
定義する
「こころ」と
「魂」もまた
「真実」
ということになります
では
ロボットのなかに
「こころ」を感じた
飼い主たちや
「魂」を感じた
乗松さんの
その
「こころ」と
「魂」とは
いったい
どこにあるというのか──
このことは
実は
ロボットに
「こころ」と
「魂」とを
見た
その人は
自分自身の
「こころ」と
自分自身の
「魂」とを
ロボットという
「鏡」
あるいは
「通路」を通じて
見ていると
言うことができそう
なのです
今日も
ありがとうございました

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ソニーが開発した
人工知能搭載
犬型ペットロボットに
「AIBO」という
製品があるのですが
2014年に
交換部品が
底をつき
サポートサービスが
打ち切られたことによって
飼い主の
切実な想いもむなしく
故障したAIBOを
治す道は
閉ざされたかに
見えました
飼い主の願いを
どうにか叶えようと
AIBOにかかわった
技術者も
設計図もない状態で
修理に乗り出したのが
株式会社ア・ファン
4ヶ月の期間をかけ
修理を成功させた
噂話を聞きつけ
たくさんの
修理依頼と
たくさんの
交換部品としての
「献体(人でいう臓器提供ですね)」が
寄せられた
そうなのですが
持ち主が
可愛がっていたAIBOを
そのまま
解体する気には
なれないと
寄せられた
AIBOの供養を
決行したのが
ア・ファンの
乗松伸幸代表でした


出典:www.nippon.com
つまり
乗松さんは
「ロボットにも
魂があるはずだ」と
考えたわけです
このことは
9月3日の記事
「昆虫」にこころはあるのか?
「昆虫写真家」栗林慧さんに見るアースフルネス
にも
通じるお話です
ぼくは
記事のなかで
昆虫のこころは
昆虫の中にあるのではなく
いつだって
「昆虫にもこころはあると
信じるその人の中にだけ
昆虫のこころは
存在することになる」
と
そう書きました
実はこの
「こころ」の部分は
そのまま
「魂」に置き換えて
読むことも
できそうなんですね
みなさんは
「こころ」と
「魂」の
そのちがいって
なんだと思いますか?
おそらく
このふたつを
明確に
定義できた人物は
過去
一人もいないのではないかと
そう思います
それもそのはず
なぜなら
「こころ」も
「魂」も
ふれることは
できないし
線を引ける
ものでもないし
数字でも
どうしたって
表せないもの
だからこそ
見る人
感じる人の
主観や
とらえる角度
とらえる面によって
いくらでも
変幻自在に
変化するもので
ひとりひとり
その人だけの
「オリジナルの
カタチ」を
やどした何か
であると
言うことが
できるんですね
なので
アースフルに
「こころ」と
「魂」とを
鳥瞰して
読み解くなら
「こころ?
魂?
そんなものないし
感じたこともない」
という
唯物主義者が
定義する
「こころ」と
「魂」もまた
「真実」
ということになります
では
ロボットのなかに
「こころ」を感じた
飼い主たちや
「魂」を感じた
乗松さんの
その
「こころ」と
「魂」とは
いったい
どこにあるというのか──
このことは
実は
ロボットに
「こころ」と
「魂」とを
見た
その人は
自分自身の
「こころ」と
自分自身の
「魂」とを
ロボットという
「鏡」
あるいは
「通路」を通じて
見ていると
言うことができそう
なのです
今日も
ありがとうございました
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コメント
承認待ちコメント
2018/09/17 01:05 by 編集
ひまわりさん
いただいた質問のこと、
明日の記事でアンサーさせてください。
新しく立ち上げたこのブログでは、
その辺のことには触れないスタンスで進めていくつもりでしたが。
ぼくが背負った宿命として、
どうしても避けては通れないようです。
2018/09/12 13:40 by 友資 URL 編集
おはようございます。
お釈迦様は心は「移ろいゆくもの」として捉え、魂を「永遠のもの」として捉えたと思うのですけど、間違ってますか?
私自身も心は「この世のもの」として捉えています。心は「魂の一部」と「動物としての性」によって構成されていると思います。
魂は「永遠」かどうかはわかりませんが、「あの世とこの世の境のないもの」「自分であり、他者であり、集合体の一部」として捉えています。
正解を知る由もありませんが。
2018/09/12 08:39 by ひまわり URL 編集