2019/01/05
宇宙を貫く「三本の柱」は「信仰」「希望」そして「愛」
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この「3本の柱」についても
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(文章だと
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コメント
バーソさん
ここまで真摯に向き合ってくださって、
感謝の気持ちで胸がいっぱいです。
ぼくには、
ばくなりの「信頼できる人」の見分け方のようなものがあるのですが、
いただいたコメントの
>互いに意見を述べ合うことで自分の誤った考えを修正もしくは変更できればいい、
あるいは自分の考えは合っていると再確認できればいいと思っているからです。
という下りは、
まさにその条件に合致します。
正しいことを言ってる人かどうか。
が信頼の条件ではなく、
「無知の知」の謙虚な姿勢の中で、
正しいことを言おうとしてる人かどうか。
なんですよね。
実は奇しくも、
そういう記事も書いてみようと思い立ち、
「信頼できる大人」から読み解くアースフルネス
というカテゴリーを、
昨日に作ったところだったのですが。
自己保身や利権のためにではなく、
本当に正しいと思えるものを求める人は、
反証を受け入れ、
そして、
「正しいと思えるものがある。
けれども、
それは正しくないかもしれない、
という思いも常にある」
というような姿勢を大切にするように思います。
科学者のような職業の方は特に、
こういった姿勢が求められますが、
残念ながら上記のような科学者は、
極めてマイノリティですよね。
特定の宗教を信仰されていた経緯がありながら、
盲目的に「信仰」にどっぷり浸かり、
「信仰」の鎧で安全圏に身を委ねる、
受動的な道ではなく、
あえて能動的に、
「理性」でもって真実を確かめようとする、
厳しい道を選んだバーソさんには、
敬意の念でいっぱいです。
(バーソさんは
「ストイシズムではなく、
そうしたくなっただけのことです」
というようなことを仰るのかもしれませんが)
「信仰」を重んじる者と、
「理性」を重んじる者と、
その両方の理解者になれるバーソさんは、
これからの時代に必要とされるだろう、
多角性を宿した人物の、
ひとつの理想形だと思います。
仰ってくださったとおり、
ぼくが語っていることは、
精神世界やスピリチュアル界隈では異物で、
受け入れられがたいものだと思われます笑
けれども同時に、
このブログは真正面からの反論を受けることがほとんどなく、
ほとんど一方的な発信になってしまっているところがありますが、
議論する場合はなるべくなら、
直接対面してしたいものですね。
文章だと、細かいニュアンスが伝わりにくく、
誤解を招いたり、
冷たい印象を与えたりして、
お互いに嫌な気持ちになる議論も少なくないからです。
バーソさんなら、
その心配はいりませんが^^
※他の読者の方が読んでも、
嫌な気分にしかならないような、
愛がないコメントがたまに来たり、
アルファベットの羅列(いたずら?)だけのコメントがよく来るので、
ぼくは承認制にしております♪
2019/01/08 01:12 by 友資 URL 編集
No title
まず、ちなみにということで、キリスト教の説を述べておきますが、
聖書の神は、歴史の最初に、完璧な地球環境(エデンの園)を造ったが、
天使の一人が蛇を用いて反逆し、最初の人間夫婦がそれに同調したために
この完璧な地球と完全な人間に罪と悪が入り、不完全になったと教えています。
なので善の天使ミカエルが悪の天使サタンを滅ぼすまでは、不完全な状態が続きます。
愛とは何かを確認するためには、愛を映すための“鏡”が必要だった、
その鏡は地球と人間であったという「創造原理ミラー説」は興味深いですね。
愛の想いは、その逆の憎悪の思いがないなら、よく分からない。
うれしさの感情は、悲しさの感情がなければ、よく分からない。
なので、この地球は二元性の原理で成り立っているのでしょう。
であれば、確かに善と悪の二面性がある地球は完璧であると言えそうです。
これがいちばん興味深いですね。
> 「諸行無常の流動性」のなかで、
「愛(0の世界)」にはとどきそうでとどかない、
永遠に終わりの来ない「鏡の世界(この世界)」の状態を創り出すことが、
神による究極の愛の完成形なのではないか
一般的には、この世界は愛の完成形の“途中段階”であり、
人間は人生(そして輪廻転生)でいろいろ学んで漸進的に進歩していく、
すなわち人生は学びの場である、と説明する人が多いと思いますが、
友資さんはそうではなく、究極の愛の完成形であるとするわけですね。
いま、愛の欠ける地球は、急速に破滅に向かっている。
まもなく滅びそうな地球から早く脱出したほうがいい。
昔のノアの時代に、方舟に乗って救われた少数の人がいたように、
今の時代もノアの方舟のような宇宙船に乗って救われるべきだと
主張する人もいますが、
友資さんはそうではなく、今までも今もじつは完璧なのだ、
善も悪も正も邪も是も非もある人生でいいのだ、と考えるわけですね。
まあ、この人生でいいのだ、と言うと語弊があり、勘違いされやすいですが、
じつは私も、山あり谷あり波あり嵐ありのこの人生が真の人生であり、
その中で、成りたい自分になっていくのが人生の醍醐味だと思っています。
むろん、今ひどい困難に遭っている人には理解しにくい話だと思いますが。
※なお、
よく、ひとから反論や異論を言われると、悩んだり落ち込んだり不快になったり
怒ったりする人がいます。悪意のある妙なコメントだとケンカになるのが嫌なので、
コメントは承認制にしている場合もあるようです。
私は、意見を言うのも好きなほうですし、言われるのも(礼を逸しておらず、
謙遜で、論理的であるならば)好きなほうですが、
それは相手を打ち負かしたいからとか、説得したいからではなく、
互いに意見を述べ合うことで自分の誤った考えを修正もしくは変更できればいい、
あるいは自分の考えは合っていると再確認できればいいと思っているからです。
つまりは真理に関心があり、もっと深く真理を知りたいからなんですね。
なので、友資さんには、いまのところ私なりの感想を“安心して”書いているので、
どうか、それもひとつの考え方かもね、くらいに受け止めていただければ幸いです。
ですけども、意見はいいが、異見はかなり気になるのであれば、率直に言うか、
あるいは、それとなく匂わせていただければ有難いでね。(^^ゞ
2019/01/07 19:36 by ☆バーソ☆ URL 編集
バーソさん
毎度のことながら、とても真摯なコメントをいただき、
帰省ボケしていた怠けた姿勢が一撃で正されました笑
このブログにおける見解としては、
「自由意志」で生きていると認識するビジョンが、
「2」の世界のビジョンで、
「運命論」的な認識のもとに生きるビジョンが、
「1」や「0」の世界のビジョンです。
同じ空間と時間を共有し、
触れ合うことができる、
ビジョンの違う者どうしたちなので、
一見すると矛盾しているようにも思えるのですが、
ネットの仮想空間のように、
個人個人が一ヶ所(宇宙)に多重に重なり合ってる世界だと考えると、
ビジョンが違う者どうし共存できるのも頷けたりします。
ビジョンが突き抜けると、
髪の毛一本の動き、
砂埃ひと粒の動きさえもが、
自由意志を超えた、
「縁起」的な相互作用のもとに生み出されていることが、
見えてくることになるのですが、
これは操り人形のような、
誰かが個人を操ってるようなニュアンスではなく、
以前のコメントでもお話ししたような、
「神自らが体験する」ために、
宇宙全体、地球全体が、
ひとつの巨大な生命体として、
まるい容器(宇宙)のなかで静止することなく、
目に見える球と見えない球とが、
ビリヤードのようにぶつかりあい、
「ひとつだけの命」の生命活動を維持している、
そんなイメージです(わかりにくくてすいません)。
なのでまさにバーソさんが仰る通り、
自己愛から被造物は創造されたのだと、
ぼく個人も思います。
個人的には、
神は「愛だけしかない完璧な世界」を望んでこの世界を創造したのではないのではないか、
と思っております。
なぜかといいますと、
仮にそうなら、最初から「悪」や「不幸」や「悲しみ」を、
創造することなんてなかったはずだからです。
「完璧」ということは、
そこから何かを足すことも、
引くことも不要な、
「いっさいの動きがない状態」と言えますが、
仮に「愛」がそれに該当するものだとするなら、
それはすでにこの世界(2の世界)を超えた、
0の世界に完成されていて、
けれども自身そのものである「愛」を確認するためには、
自身(愛)を映すための「鏡」となるものが必要だった。
それこそがこの世界(2の世界)であり、
「悪」「不幸」「悲しみ」などであると、
ぼくは考えます。
究極の愛の完成形は、
「いっさいの動きがない状態」ではなく、
究極の安全圏である「愛(0の世界)」によって包含された、
「諸行無常の流動性」のなかで、
「愛(0の世界)」にはとどきそうでとどかない、
永遠に終わりの来ない「鏡の世界(この世界)」の状態を創り出すことが、
神による究極の愛の完成形なのではないかというのが、
ぼくの解釈です。
ようするに、
この世界はこれまで完璧ではなかったことがなく、
「完璧の連続」のなかで、
ぼくら人間は「体験」という形で、
神の自己愛に付き合わされてるわけです。
つくづく、神様はナルシストです笑
まとまってるようなまとまってないような、
駄文を書き連ねてしまいました。
失礼いたしました。
なんだか夢中で一気に書いてしまいました。
2019/01/06 16:20 by 友資 URL 編集
No title
「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。
その中で最も大いなるものは、愛である。」コリント第一13:13節
この文脈は、前節ではこうです。
「13:1 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。
13:2 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
13:3 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
ここでは、しつこいほど「愛」が一番重要であると強調されています。
これを読んだときに思ったのは、「愛」の重要性は分かります。人は自分一人だけで生きているわけではなく、人々の中で暮らしているからです。人は、愛の重要性は思いでは分かってはいても、なかなか実行には移せないからです。
しかし「希望」と「信仰」が次に重要な特質として挙げられているのは、やはりこうしてパウロからくどくどと言われなければ、人は容易に信仰と希望を失いやすいということだろう。つまり(神の存在に対する)信仰と(その約束への)希望をしっかりと抱くために必要な確たる証拠というものは、聖書の言葉以外には無い。だからこうしてしつこく強調されているのだろう、と思いましたね。
この「愛」には利己愛も自己愛も含まれていますが、普通は自己犠牲的な愛が最高だとされています。イエスも「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。(ヨハネ15:13) 」と言い、自分でそれを実行しています。
しかし究極的には、利他愛は自己愛から発しているとする考えは、私も今回ブログで匂わせています。ご隠居に「自分を愛せる者が他の人を愛せるのだ」と語らせています。
だから《P7ビジョン》のほうに書かれている「実はどれもが『自分のためにやっていること』なんですね」は、私もまさしくそうだと思いますね。
聖書の『十戒』がそうです。第一の戒めは「あなたは私の他に神があってはならない」ですから。
それで、この戒めの意図するところとはちょっと意味は違いますが、神が存在し、創造者であるなら、それは自己愛から被造物を創造したのだろうと思います。
ですが、自己愛だけで完結するなら、愛の半分しか達成してないことになる。だから愛を完璧に全うするためには利他愛も行なわなければならない。それを実行して愛というものを完全に理解し体得するまで、人は人生を何度も繰り返すのだろうとも思います。そういう意味では完璧な愛の社会の到来は相当時間が掛かりそうですが。
2019/01/06 09:50 by ☆バーソ☆ URL 編集