2018/11/19
「1」の世界(縁起の世界)の先に「神」を導き出そうとした哲学者「スピノザ」
見えるものと見えないものは
「道(タオ)」の胎内で踊り続ける
『老子道徳経』體道第一
「道(タオ)」の胎内で踊り続ける
『老子道徳経』體道第一
の記事の
アースフルネス訳の一部に
こんな箇所がありました
この
「有」と
「無」とは
同じ
母なる「道(タオ)」を
みなもとに
名を異にしているもの
ただそれだけのことさ
言わずもがな
きみのなかにも
「有(肉体)」と
「無(こころ)」とが
宿されているだろう?
老子の
この言葉と
類似する哲学を
書き残した人物に
17世紀オランダを
生きた哲学者
バルフ・デ・スピノザ
という人物がいます

出典:blog.despinoza.nl
ぼくが知る限りですが
「1」の世界と
1人称の神を
ここまで徹底して
理詰めで
表そうとした人物を
他に知りません
ユークリッドという
古代ギリシアの
数学者の手法に
のっとって
仮に
神が存在すると
仮定するなら
この世界は
こういうロジック(論理)で
成り立ってなきゃおかしい
という
なんとも大胆な
出発点から
神を導き出そうとした
そんな人物なんですね
この手法は
ぼくが
アースフルネス7ビジョンという
このブログだけの
仮定の真理(公理ともいいます)を
示すところから
出発して
この世の仕組みを
他者と
共有しようとしたことに
どこか似ています
スピノザは
道(タオ)であり
神と呼ぶしか
ほかに言いようがない
それを
プラトンや
デカルトなど
先人の哲学者が
使った言葉を
あえて踏襲して
「実体」と呼び定め
有(見えるもの)であり
無(見えないもの)であるものを
「属性」と呼びました
これを例えるなら
「お酒」を
「実体」とするなら
「ビール」
「焼酎」
「ワイン」は
「お酒」から
枝分かれした
「属性」になるわけです
老子の言い回しを
借りるなら
母なる「実体」を
みなもとに
名を異にしているもの
それこそが
「肉体」であり
「こころ」という
属性なわけです
そして
とどまることなく
姿かたちを
変化させていく
諸行無常の
属性(森羅万象)たちの
その様を
スピノザは
「様態」と
そう呼びました
感情や
自我など
人間的な要素を
可能な限り
排除しようとした
主著「エチカ」は
あまりに難解すぎて
とてもじゃないけど
まったくお勧めできないのですが笑
「1」の世界の
緻密な設計図が
その一冊には
込められています
7ビジョンの
「1」の世界の図が
示すとおり
1人称としての
神を
証明しようとした
その設計図(エチカ)が
遺稿となった
スピノザは
汎神論者(神以外のほかに何もないとする思想)
理神論者(人格的神を否定する思想)
あるいは
2人称の神を重んじる
多くのキリスト教徒には
無神論者と
さげすまされ
権威者に危険視され
命まで狙われた
哲学者ですが
ぼくは
徹底して
人間的な要素を
打ち消し
「1」の世界を
表すという
そのこころみのなかで
実は
スピノザは
「0」の世界を
すでにとらえていて
言葉で表すことが
不可能なそれを
どうにかして
表したかった
あるいは
次世代へと
託したかった
その結晶が
「エチカ」だったのではないかと
そんなふうに思えて
仕方がないんですよね
哲学的な
理性と論理の
いとなみのなかで
イエス・キリストが
示したような
「0」の世界の
「汎在神」的な境地の
その鋳型を
表現するために
その領域への扉となる
「エチカ」を
書き上げた
そのことを
このブログのなかで
いつの日か
理性的に
証明することが
ちょっとした野望です( ̄▽ ̄)
今日も
ありがとうございました

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アースフルネス訳の一部に
こんな箇所がありました
この
「有」と
「無」とは
同じ
母なる「道(タオ)」を
みなもとに
名を異にしているもの
ただそれだけのことさ
言わずもがな
きみのなかにも
「有(肉体)」と
「無(こころ)」とが
宿されているだろう?
老子の
この言葉と
類似する哲学を
書き残した人物に
17世紀オランダを
生きた哲学者
バルフ・デ・スピノザ
という人物がいます

出典:blog.despinoza.nl
ぼくが知る限りですが
「1」の世界と
1人称の神を
ここまで徹底して
理詰めで
表そうとした人物を
他に知りません
ユークリッドという
古代ギリシアの
数学者の手法に
のっとって
仮に
神が存在すると
仮定するなら
この世界は
こういうロジック(論理)で
成り立ってなきゃおかしい
という
なんとも大胆な
出発点から
神を導き出そうとした
そんな人物なんですね
この手法は
ぼくが
アースフルネス7ビジョンという
このブログだけの
仮定の真理(公理ともいいます)を
示すところから
出発して
この世の仕組みを
他者と
共有しようとしたことに
どこか似ています
スピノザは
道(タオ)であり
神と呼ぶしか
ほかに言いようがない
それを
プラトンや
デカルトなど
先人の哲学者が
使った言葉を
あえて踏襲して
「実体」と呼び定め
有(見えるもの)であり
無(見えないもの)であるものを
「属性」と呼びました
これを例えるなら
「お酒」を
「実体」とするなら
「ビール」
「焼酎」
「ワイン」は
「お酒」から
枝分かれした
「属性」になるわけです
老子の言い回しを
借りるなら
母なる「実体」を
みなもとに
名を異にしているもの
それこそが
「肉体」であり
「こころ」という
属性なわけです
そして
とどまることなく
姿かたちを
変化させていく
諸行無常の
属性(森羅万象)たちの
その様を
スピノザは
「様態」と
そう呼びました
感情や
自我など
人間的な要素を
可能な限り
排除しようとした
主著「エチカ」は
あまりに難解すぎて
とてもじゃないけど
まったくお勧めできないのですが笑
「1」の世界の
緻密な設計図が
その一冊には
込められています
7ビジョンの
「1」の世界の図が
示すとおり
1人称としての
神を
証明しようとした
その設計図(エチカ)が
遺稿となった
スピノザは
汎神論者(神以外のほかに何もないとする思想)
理神論者(人格的神を否定する思想)
あるいは
2人称の神を重んじる
多くのキリスト教徒には
無神論者と
さげすまされ
権威者に危険視され
命まで狙われた
哲学者ですが
ぼくは
徹底して
人間的な要素を
打ち消し
「1」の世界を
表すという
そのこころみのなかで
実は
スピノザは
「0」の世界を
すでにとらえていて
言葉で表すことが
不可能なそれを
どうにかして
表したかった
あるいは
次世代へと
託したかった
その結晶が
「エチカ」だったのではないかと
そんなふうに思えて
仕方がないんですよね
哲学的な
理性と論理の
いとなみのなかで
イエス・キリストが
示したような
「0」の世界の
「汎在神」的な境地の
その鋳型を
表現するために
その領域への扉となる
「エチカ」を
書き上げた
そのことを
このブログのなかで
いつの日か
理性的に
証明することが
ちょっとした野望です( ̄▽ ̄)
今日も
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