2018/11/16
「結果」のみで人を断罪することなかれ~脚本家・坂元裕二~
本日もお越しいただき
ありがとうございます
11月12日放送の
NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」を見ました
密着取材の相手は
ぼくの世代以上では
知らぬ人はいないだろう
大ヒットドラマ
「東京ラブストーリー」の脚本を
23歳で手掛け
時代の寵児となったものの
様々な葛藤から
引退し
長い年月を経て
「MOTHER」
「それでも、生きてゆく」
「最高の離婚」
「カルテット」などの
人間が持つ
深い闇と
その闇を
ほのかに照らすような
あたたかい
ともしびを描いた
名作テレビドラマを
世に送り出した
脚本家の
坂元裕二さんです

出典:www.orangenews.hk
自称
天才派ではなく
努力派でもなく
あがき派
忍耐派だと語る
坂元さんは
「オレは違うところに行きたいんだ…とか
探している…とか
別の場所へ…とか
かっこいいこと言ってる人って
見えていない人だと思う」
「集大成とか言われたらもうダメなの
それは自分の未知なる泉が枯れちゃってるから
汲んである泉で作ってるから
集大成とか言われちゃうんです」
などなど
本質の
さらにその中心点を
射抜くような
鋭利なまなざしは
今回記事にしていくために
書き留めた言葉
すべてあれば
ほかに何もいらないんじゃないかと
思えるほどの
脚本家を志す人間の
核となり
こころえとなりえる
厳しくも
深くにささる
確かな至言ばかりでしたね
「スキです」
という言葉に
好きという気持ちが
宿るのではなく
その言葉の
周囲を取り巻く
鋳型となるものを描いてこそ
物語に
本物の「スキです」が宿るし
それこそが
脚本だというお話は
小説家を目指してたころに
教えてほしかったなあと
苦笑いしてしまった
これまた重要な本質ですね
とはいえ
その頃の自分だったら
坂元さんが語ったことの
大切さを
とらえられなかったに
ちがいありません
病的なまでに
ストイックに
自分にウソをつくことを
避ける坂元さんに
「フィクションなのに
うそをつかないとは
どういう意味か?」
という質問を
ディレクターが
投げかけるのですが
それを受けて
お話の都合や
作者の都合で
作られた物語では
作者の物語になってしまう
ぼくの物語ではなく
この人たち(登場人物たち)の
物語であり
どんなに面白いストーリーよりも
本当にその人たちが
生きているように見える
そんな物語を作りたい
といった返答をしたり
社会ありきで
人物を書くのではなく
人物や
その繋がりを
探求することで
社会や世の中が
自然と
立ち上がってくる
といった言葉や
「多数派か少数派かっていったら
少数派のために書きたい
10元気な人が
100元気になるための作品は
たぶんたくさんあるけど
僕はマイナスにいる人が
せめてゼロになる
-5が-3ぐらいになる
という作品を目指してる」
という言葉に
坂元さんの
ゆるぎない人間賛歌を
見るような
そんな気がしてなりません
坂元さんは
自動車の
整備工場を営む
両親のもとで
三人兄弟の長男として
育ちました
年の離れた
弟に対し
どう接していいのかわからず
弟が自分を慕い
追いかけてくるのを
わかっていて
逃げてしまった
そのとき
弟が車に撥ねられた
その光景を
今でも忘れることができず
弟ともう一回
やり直したいという
後悔の念を
ずっと抱えてきたと
そう語ります
23歳で
トレンディドラマの
名手と呼ばれ
数字さえ出せば
それでいいと
もてはやされる現状に
ひたすらに
嫌悪感を抱いていた
坂元さんは
27歳で
テレビ業界を去り
新たな試みとして
映画監督に挑んでは
挫折し
小説家に挑んでは
挫折し
生活のために
再び
テレビの現場に
戻ったものの
自分の書きたいものや
方向性が
定まらぬまま
35歳のときに
「娘が誕生する」
という
転機を迎えます
共働きで
一人での子育てに
追われる坂元さんは
「子供が生まれるまでは
自分は作家なんだから
遊ぶことが大事なんだとか
友達と酒飲んだり
刺激を受けたりすることが
作家としての生き方なんだと
思っていた」ものの
それが
間違いであり
「日常」にこそ
本当に大事なことが
潜んでいることに
育児をとおして
気づいたと
そう語ります
その経験を活かして
書き上げられた
43歳のときに
発表された作品
「MOTHER」では
娘を虐待する
母親が
描かれるのですが
放送当初は
虐待する母親に対し
罵倒の声が
多く寄せられたといいます
ですが
坂元さんは
「それはちがう」と
断定します
ここからの言葉は
ぼくが
このブログ
「アースフルネスライフを生きる」をとおして
お伝えしてきた言葉
そのものでした
「虐待という事実は
当然否定すべきことだけど
何も知らずに簡単に
あの母親を否定することはできない
結果だけ見て
手を出したひどい女だ
ひどい母親だって断罪することは
ぼくにはできなかった」
ドラマは
反響を呼び
生きづらさを抱える
多くの視聴者から
「他人事とは思えなかった」
「救われた」
といった声が
寄せられたといいます
こうして
坂元さんは
ようやく
「脚本を書く理由」という
暗闇のなかの
ともしびを
見つけ出し
そのともしびを頼りに
歩むべき道を
歩き始めました
というのも
束の間
テレビドラマの脚本に
「泉の枯渇」を
感じ始めた
坂元さんは
新たな挑戦として
舞台の脚本へと
歩み始め
未知の泉を
汲み始めることができた
坂元さんは
ちょっとだけ
うれしそうでした
今日も
ありがとうございました

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ありがとうございます
11月12日放送の
NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」を見ました
密着取材の相手は
ぼくの世代以上では
知らぬ人はいないだろう
大ヒットドラマ
「東京ラブストーリー」の脚本を
23歳で手掛け
時代の寵児となったものの
様々な葛藤から
引退し
長い年月を経て
「MOTHER」
「それでも、生きてゆく」
「最高の離婚」
「カルテット」などの
人間が持つ
深い闇と
その闇を
ほのかに照らすような
あたたかい
ともしびを描いた
名作テレビドラマを
世に送り出した
脚本家の
坂元裕二さんです

出典:www.orangenews.hk
自称
天才派ではなく
努力派でもなく
あがき派
忍耐派だと語る
坂元さんは
「オレは違うところに行きたいんだ…とか
探している…とか
別の場所へ…とか
かっこいいこと言ってる人って
見えていない人だと思う」
「集大成とか言われたらもうダメなの
それは自分の未知なる泉が枯れちゃってるから
汲んである泉で作ってるから
集大成とか言われちゃうんです」
などなど
本質の
さらにその中心点を
射抜くような
鋭利なまなざしは
今回記事にしていくために
書き留めた言葉
すべてあれば
ほかに何もいらないんじゃないかと
思えるほどの
脚本家を志す人間の
核となり
こころえとなりえる
厳しくも
深くにささる
確かな至言ばかりでしたね
「スキです」
という言葉に
好きという気持ちが
宿るのではなく
その言葉の
周囲を取り巻く
鋳型となるものを描いてこそ
物語に
本物の「スキです」が宿るし
それこそが
脚本だというお話は
小説家を目指してたころに
教えてほしかったなあと
苦笑いしてしまった
これまた重要な本質ですね
とはいえ
その頃の自分だったら
坂元さんが語ったことの
大切さを
とらえられなかったに
ちがいありません
病的なまでに
ストイックに
自分にウソをつくことを
避ける坂元さんに
「フィクションなのに
うそをつかないとは
どういう意味か?」
という質問を
ディレクターが
投げかけるのですが
それを受けて
お話の都合や
作者の都合で
作られた物語では
作者の物語になってしまう
ぼくの物語ではなく
この人たち(登場人物たち)の
物語であり
どんなに面白いストーリーよりも
本当にその人たちが
生きているように見える
そんな物語を作りたい
といった返答をしたり
社会ありきで
人物を書くのではなく
人物や
その繋がりを
探求することで
社会や世の中が
自然と
立ち上がってくる
といった言葉や
「多数派か少数派かっていったら
少数派のために書きたい
10元気な人が
100元気になるための作品は
たぶんたくさんあるけど
僕はマイナスにいる人が
せめてゼロになる
-5が-3ぐらいになる
という作品を目指してる」
という言葉に
坂元さんの
ゆるぎない人間賛歌を
見るような
そんな気がしてなりません
坂元さんは
自動車の
整備工場を営む
両親のもとで
三人兄弟の長男として
育ちました
年の離れた
弟に対し
どう接していいのかわからず
弟が自分を慕い
追いかけてくるのを
わかっていて
逃げてしまった
そのとき
弟が車に撥ねられた
その光景を
今でも忘れることができず
弟ともう一回
やり直したいという
後悔の念を
ずっと抱えてきたと
そう語ります
23歳で
トレンディドラマの
名手と呼ばれ
数字さえ出せば
それでいいと
もてはやされる現状に
ひたすらに
嫌悪感を抱いていた
坂元さんは
27歳で
テレビ業界を去り
新たな試みとして
映画監督に挑んでは
挫折し
小説家に挑んでは
挫折し
生活のために
再び
テレビの現場に
戻ったものの
自分の書きたいものや
方向性が
定まらぬまま
35歳のときに
「娘が誕生する」
という
転機を迎えます
共働きで
一人での子育てに
追われる坂元さんは
「子供が生まれるまでは
自分は作家なんだから
遊ぶことが大事なんだとか
友達と酒飲んだり
刺激を受けたりすることが
作家としての生き方なんだと
思っていた」ものの
それが
間違いであり
「日常」にこそ
本当に大事なことが
潜んでいることに
育児をとおして
気づいたと
そう語ります
その経験を活かして
書き上げられた
43歳のときに
発表された作品
「MOTHER」では
娘を虐待する
母親が
描かれるのですが
放送当初は
虐待する母親に対し
罵倒の声が
多く寄せられたといいます
ですが
坂元さんは
「それはちがう」と
断定します
ここからの言葉は
ぼくが
このブログ
「アースフルネスライフを生きる」をとおして
お伝えしてきた言葉
そのものでした
「虐待という事実は
当然否定すべきことだけど
何も知らずに簡単に
あの母親を否定することはできない
結果だけ見て
手を出したひどい女だ
ひどい母親だって断罪することは
ぼくにはできなかった」
ドラマは
反響を呼び
生きづらさを抱える
多くの視聴者から
「他人事とは思えなかった」
「救われた」
といった声が
寄せられたといいます
こうして
坂元さんは
ようやく
「脚本を書く理由」という
暗闇のなかの
ともしびを
見つけ出し
そのともしびを頼りに
歩むべき道を
歩き始めました
というのも
束の間
テレビドラマの脚本に
「泉の枯渇」を
感じ始めた
坂元さんは
新たな挑戦として
舞台の脚本へと
歩み始め
未知の泉を
汲み始めることができた
坂元さんは
ちょっとだけ
うれしそうでした
今日も
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