2018/08/13
ヒップホップと縄文とアイヌ、そしてアースフルネス 後編
本日もお越し頂き
ありがとうございます
昨日の記事
ヒップホップと縄文とアイヌ、そしてアースフルネス 中編
の続きです。
ヒップホップの
創作手法のひとつに
「サンプリング」というものがあります
既存する他者の音源から
バックトラックや声など
一部をサンプル(引用)し
再構築して
新しい音楽を創造する手法です
ですが
アースフルに
そのビジョンを
拡大していけばいくほどに──
ヒップホップどころか
すべての音楽
すべての芸術
すべての表現
すべての創作物は
既存の何かしらのものからの
インスパイア
その連続でしかありません
(ここでいうインスパイアは
「驚き」が世界を変えていく 多田克彦
の記事の
「驚き」とも言えそうです)
この世界において
ゼロから何かを
生み出せる人なんて
一人もいないですし
この世界から
何ひとつサンプリングしてない人なんて
一人もいない
そんなビジョンが
まざまざと見えてくるんですね
そんななか
堂々と「借りもの」であることを
音楽的に明言し
貸出者に
リスペクトを送りつつ
合気道のごとく
借りた力を増幅させ
包み隠さず
自己顕示欲をビートに乗せ
音楽に昇華させることを
むしろ誇りとする
ヒップホップは
潔いし自由だなあと
思うのと同時に──
ここでもまた
縄文的「借りものスピリット」を
重ねずにはいられません
なんせ
縄文やアイヌの人々にとって
森や動植物や
岩や石ころ
風も雨も
太陽も月も
自然のすべて
目には見えない存在もすべて
対等であり
「神」という考え方ですから
私の人生は
「借りもの」でできているのだと
堂々と
言ってるようなものですからね
(借り物の時間の中で
本物の夢を見るんだ
と歌う甲本ヒロトさんや
作詞した真島昌利さんもまた
縄文イズムを
歌っているのかもしれませんね)
であれば
サンプリングをする
あらゆるアーティストにとって
貸出者は
ひょっとすると「神」であり
「拝借した音源」もまた
ひょっとすると「神」
なのかもしれません
そして
アイヌの人々にとって
カムイ(神)が
対等な立場の存在
であるのと同時に
共に歩む存在でもあった
とするのなら
貸出者と
借りた者とは
ともに並走している存在と
言うことができます
さらに言えば
いかなる貸出者も
誰かしらから(人間からに限らず)
借りているからこそ
次なるバトンを
受け取るための
準備の整った
誰かに向け
バトンを渡せるのだとすれば──
時空を超えた
連綿たる「借りもの」の
つらなりは
「自分」という「肉体」
そして「意識」もまた
「借りもの(カムイ)」であることに
畏怖することを
覚えるのと同時に
「人生」とは
「カムイの子宮の中」のことなのだという
カムイの羊水に
包み込まれ
満たされている
深い安らぎとやさしさと
よき友人であり
よき母であり
よき並走者でもある
カムイの恩恵を
感じずにはいられないのです
まだまだ
縄文トピックは
広げられそうなのですが
ぼくの力不足で
いまだに興味を持てない方も
いると思うので
今回はここまでで
いったん退きますが
縄文時代にフォーカスした
アースフルネス
またやりたいです!
望月さん
ありがとうございました
そしてみなさんも
今日もありがとうございました

出典:s.webry.info
日本最古の国宝「縄文のヴィーナス」
妊婦を象った作品だと言われてるそうですが
そのお腹周りを
本人のものではない
大きな別の両腕が
包み込むように
守っているようにも見えます

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ありがとうございます
昨日の記事
ヒップホップと縄文とアイヌ、そしてアースフルネス 中編
の続きです。
ヒップホップの
創作手法のひとつに
「サンプリング」というものがあります
既存する他者の音源から
バックトラックや声など
一部をサンプル(引用)し
再構築して
新しい音楽を創造する手法です
ですが
アースフルに
そのビジョンを
拡大していけばいくほどに──
ヒップホップどころか
すべての音楽
すべての芸術
すべての表現
すべての創作物は
既存の何かしらのものからの
インスパイア
その連続でしかありません
(ここでいうインスパイアは
「驚き」が世界を変えていく 多田克彦
の記事の
「驚き」とも言えそうです)
この世界において
ゼロから何かを
生み出せる人なんて
一人もいないですし
この世界から
何ひとつサンプリングしてない人なんて
一人もいない
そんなビジョンが
まざまざと見えてくるんですね
そんななか
堂々と「借りもの」であることを
音楽的に明言し
貸出者に
リスペクトを送りつつ
合気道のごとく
借りた力を増幅させ
包み隠さず
自己顕示欲をビートに乗せ
音楽に昇華させることを
むしろ誇りとする
ヒップホップは
潔いし自由だなあと
思うのと同時に──
ここでもまた
縄文的「借りものスピリット」を
重ねずにはいられません
なんせ
縄文やアイヌの人々にとって
森や動植物や
岩や石ころ
風も雨も
太陽も月も
自然のすべて
目には見えない存在もすべて
対等であり
「神」という考え方ですから
私の人生は
「借りもの」でできているのだと
堂々と
言ってるようなものですからね
(借り物の時間の中で
本物の夢を見るんだ
と歌う甲本ヒロトさんや
作詞した真島昌利さんもまた
縄文イズムを
歌っているのかもしれませんね)
であれば
サンプリングをする
あらゆるアーティストにとって
貸出者は
ひょっとすると「神」であり
「拝借した音源」もまた
ひょっとすると「神」
なのかもしれません
そして
アイヌの人々にとって
カムイ(神)が
対等な立場の存在
であるのと同時に
共に歩む存在でもあった
とするのなら
貸出者と
借りた者とは
ともに並走している存在と
言うことができます
さらに言えば
いかなる貸出者も
誰かしらから(人間からに限らず)
借りているからこそ
次なるバトンを
受け取るための
準備の整った
誰かに向け
バトンを渡せるのだとすれば──
時空を超えた
連綿たる「借りもの」の
つらなりは
「自分」という「肉体」
そして「意識」もまた
「借りもの(カムイ)」であることに
畏怖することを
覚えるのと同時に
「人生」とは
「カムイの子宮の中」のことなのだという
カムイの羊水に
包み込まれ
満たされている
深い安らぎとやさしさと
よき友人であり
よき母であり
よき並走者でもある
カムイの恩恵を
感じずにはいられないのです
まだまだ
縄文トピックは
広げられそうなのですが
ぼくの力不足で
いまだに興味を持てない方も
いると思うので
今回はここまでで
いったん退きますが
縄文時代にフォーカスした
アースフルネス
またやりたいです!
望月さん
ありがとうございました
そしてみなさんも
今日もありがとうございました

出典:s.webry.info
日本最古の国宝「縄文のヴィーナス」
妊婦を象った作品だと言われてるそうですが
そのお腹周りを
本人のものではない
大きな別の両腕が
包み込むように
守っているようにも見えます
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