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ヒップホップと縄文とアイヌ、そしてアースフルネス 中編

今日もお越しいただき
ありがとうございます

昨日の記事
ヒップホップと縄文とアイヌ、そしてアースフルネス 前編
の続きです





さて
昨日は
「チャランケ」には
カムイ(神)への談判
人間同士の調停
ふたつの意味がある
というところまで
お話ししました




では
人間同士のいさかいの場合
どのようにして
調停を結ぶにいたるのか





それはというと
言い分がある者同士を
向かいあわせ
相手集落や
集落内の人々に
ギャラリーになってもらい
音楽的に韻を踏んだり
ふしをつけたり
自分の集落(地元?)を
レペゼンしたりしながら
両者が交互に
自分の言い分を語り

聞く側は
相手のターンが終わるまでは
黙って耳を傾け
決着がつくまでは
一晩中でも
何日でも
飲まず食わずで
続けるという
血を流さずして
和解を目指すという
平和的解決方法が
アイヌの人々のあいだでは
行われていたそうなのですが






まさにこれは
現代で言うところの
ヒップホップの誕生
血を流さずして
争いごとを
治めるために
生まれた音楽であることや





ちまたで流行の
フリースタイルダンジョン(MCバトル)
チャランケの要素を
随所に宿した
競技であるということを
望月編集長
指摘されているところです
(流暢なアイヌ語は
まるで音楽を聴いているかのように
美しいそうです)





ではやはり
弥生以降の
所有社会(父性社会)
築き上げた
現代社会における
MCバトルは
合理的な論破合戦なのかというと
アースフルに読み解くなら
まったくそんなことはありません





審査基準が
審査員の主観(好み)という
非合理な判定基準に加え
特に言いたいこともない相手とも
ときには
リスペクト(敬愛)している相手とも
自己プロモーションのために
ただ勝ちたいがために
あるいは
ヒップホップへの愛ゆえに
戦わねばならず

相手を知り
その日の
会場の空気を読み
相手の出方を見たり
相手の虚を突く
攻めの手や戦術を
手持ちの手ふだで
瞬間に導き出すということは
まずはじめに
母性(共感力)がないことには
できないこと
だと
ぼくは思うんですね





相手を取りこぼしなく
知ろうとする
相手を取りこぼしなく
受容する
共感力に抜きんでる

ヒップホップユニット
CREEPY NUTS(クリーピーナッツ)の一員で
フリースタイルラッパーでもある
R-指定さんの
その強さの秘密は
こんなところにもありそうです
rshitei_convert_20180810140642.jpg
出典:dews365.com





相手を
わかればわかるほど
相手が一番
突かれてほしくないところ
苦手としているところが
見えてくるわけです







いっぽうで
縄文社会(母性社会)の風習である
チャランケだって
合理性(父性)がないのかというと
そんなこともありません。





審査基準に関しては
チャランケの
ジャッジメントのほうが
明快なまでに
合理的ですし
誰も文句のつけようが
ないですよね
(単なる体力勝負じゃねえか!
という疑いもありますが笑)





そして
先ほどもお話ししたとおり
チャランケは
お互いに言い分が
明確にある
合理的な論破戦です

けれども
饒舌だけど
言ってることに
筋が通っていない人と
たどたどしいけど
筋が通ってる人とが
口論しても
前者に軍配が上がることが
一般社会のなかでも
往々にしてあるように

どんなに確固たる
ロジック(論理)を持ってしても
口ごもってしまっていたら
勝てやしません





スポーツもまた
ぼくが述べるまでもなく
合理性のみで
勝てるスポーツなんて
どこにもありませんよね





結局のところ
MCバトル
チャランケに限らず
あらゆる競技や
あらゆる戦いは
合理と
非合理の両輪を宿した
人間同士の
ぶつかり合い

なのかもしれません




にもかかわらず
やはり
現代社会は
所有&貯蓄合戦
弥生イズムの継続(父性社会)

すぎないのか?





ぼくは
MCバトルと
チャランケの例を
ひとつ取ってみても
そうは思えずにいます

また
宇多田ヒカルさんの記事でも
お話ししたように
アースフルなビジョンに満ちた
この世界は
相反する
あらゆるふたつの糸で
織りなされた
巨大なタペストリーです







日本列島に
「所有」という概念がなかった
そんな時代にも
他の国や文明では
その反対の概念が
まかり通っていたように

いつの時代でも
「父性」と「母性」
「合理」と「非合理」とが
どちらかに偏りすぎないよう
バランスを保つかのように
この地球(あるいは宇宙)全体をいろどることは
「終わり」と「始まり」が
ぼくらの世界から切り離せないものであるのと同じく
「父性」と「母性」もまた
呼吸運動(吸うと吐く)のごとく
不可分の摂理なのだと──



そんなことを思います




現代の政治や
金融システムが
誰しもにそなわった(特に男性)
「父性性」を強くあおるように
設計されている
だけのことで
たとえ縄文の血が絶えようとも
このご時世になって
縄文ブームが
到来していることを見ても

まったく無自覚に
忘れてしまっているだけで
いつだってぼくたちは
失われることのない
縄文スピリット(母性)を
その内に
秘めているのではないでしょうか





明日は後編です
今日もありがとうございました




Nishi-no-mae_Iseki_dogu-2_convert_20180810133129.jpg
出典:ja.wikipedia.org


国宝「縄文の女神」
このお尻フリークをもうならせるだろう
ヒップラインを目撃したとき
一万年以上前の作者とぼくは
見えない握手を交わした(ような気がした)







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