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「信じる」の障壁を超えてその人にふれる ~エホバの証人~

確か
一昨年のことです
キリスト教系の宗教組織
エホバの証人に属する
20代の女性の方と
ゆっくりと
お話ができる機会が
あったんですね

ぼくが彼女の
夜勤における
研修教育を任された
そんな出会いでした




このチラシは
彼女との別れ際
いただいたものです
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宗教上の理由で
輸血することが
できないがために
我が子を
死に至らせてしまったり
輸血をほどこした医師が
訴えられてしまったり
といった
輸血にまつわる
社会的エピソードに加え




その教義内容や
過去に受けた
勧誘の印象など
掛け合わせつつ




排他的で
偏った世界観の
宗教組織
なのだろうと
主観イメージを
ぼんやり抱いていた
ぼくでしたが




彼女との出会いは
特定の宗教に
属する人々
すべてが
排他的な考え方を
持っているわけではないし

ぼくの
一方的な
思い込みであった面も
多々あること

気づかされる
出会いでもありました




きっかけは確か
ぼくが読んでいた
仏教に関する本でした




お互いの素性は
家族構成や
出身地程度しか
知らない
距離感の中
ふと
本に目を留めた
彼女は
興味深く
本の中身についての
説明を
ぼくに求めました




「新世界訳聖書」という
独自の聖典に
忠実にあろうとし
唯一神エホバ(ヤハウェ)
信仰する彼女

こともあろうに

「神は
人称化できない」

「肉体が
命をうしなうのではなく
命が
肉体をうしなう」

などという
ぼくの話に
睡魔の誘惑を
免れない
真夜中2時3時に
熱意を持って
耳を傾けてくれたんですね




社交辞令
だったかもしれませんが
彼女は
「ブログを
拝見したい」とも
言ってくれたので
ブログ名を
伝えた覚えがあります




その場では
多くを語らず
理解することに
つとめてくれていた
彼女でしたが
こころの内は
反論を禁じえない
強い信念が
あったに違いありません




「信仰」を
何より重んじる
その人にとって
「自らの命」と
同等でもある
それを
「理屈」や
「合理性」で
「正しい」とか
「間違ってる」とか
簡単に
割り切れるものでは
ない
んですよね




なぜなら
他の誰でもない
その「信仰」こそが
自分を
護ってくれているもの
自分を
救ってくれているもの
だから
です

たとえ
他者からは
そうは見えなくとも──




もちろん
宗教や信仰を
利己的な目的で
悪用する人間が
多くいることは
事実です




ときには
信仰のいさかいが
傷つけあいとなり
果てには
戦争にまで
発展してしまう
そんなケースが
少なくないことは
歴史が
証明しております




けれどもそれらは
宗教に限らず
すべての「信じる」に
言えることですが
相手が
何より大切にする
「信じるもの」を尊重し
その人もまた
「自分と同じ
ただの人間」
であることを理解し




その人が
そのことを
「信じる」までにいたった
「経緯」にこそ
「敬意」を払うならば




「考え方の違い」
「価値観の違い」
「宗教観の違い」
という障壁を超えて




ぼくたちは
お互いの
根源に秘めたる
この世を超越した
「不抜の愛」に
同時に
ふれることが
できる
のかもしれません
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出典:hrringleader.com



今日も
ありがとうございました




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コメント

☆バーソ☆さん

初めまして!
コメントありがとうございます。
まさか(憧れの)バーソさんからコメントがいただけるとは。


まだバーソさんを知ってそれほど経ちませんが、
「考え方はいろいろあるから面白い」という素敵なコンセプトは、
ぼくがブログで示していることに、
おこがましくも通じるところがあるなと、
勝手に思わせてもらっております。

精神世界を軸にされてるとのことなのに、
まったくそれを感じさせないところがにくいといいますか、
独自のセンスのようなものを感じてしまいます。

時間がなくて、なかなか過去記事に踏み込めていないのですが、
少しずつ少しずつ、拝読させてください。



記事、気持ちよさを感じてもらえて、とても光栄です。

「感情」は「論理」に勝るという真実は、
いずれ記事にして書いてみようと考えていたトピックでした。

ほんとそうなんですよね。
「感情」「好き嫌い」に勝るものは、
人間界においては、他にないとぼくも思います。

「好き」は「嫌い」の対となる概念ですが、
「愛」は、「愛する」「愛さない」の相対関係を超えた、
対象化不可能なもの、
というのがぼくの見解です。



精神世界を信じる方には珍しく、
語り口がとても理知的で、
言葉選びが慎重で、
それでいて行間から大人のゆとりのようなものも感じられて、
博識でもいらして。
バーソさん、非の打ち所がありません笑


またぜひ、いつでも遊びにいらしてください♪

風子さん

風子さん、貴重な体験談を教えてくださりありがとうございます。

ぼくは信仰の違いの戦争というのは表面上の理由で、
ちゃんと話し合えれば信仰を超えてわかり合える人がほとんどだと考えています。

何より問題なのは、自己保身や富と権力のために、
信仰を利用して争いを策略したり、扇動する人がいることかなと。

厄介なのは、そういう人々はメディアさえも思うがままなので、決して表に出てくることがないことです。

陰謀論も、全部が全部バカにはできないと、そう思います。

ほんと、微力も微力ですが、
自分にできることをやっていくしかありませんね。

こんばんは~♪

はじめまして。
以前は長年かなり熱心なエホバの証人でしたが、
今は精神世界のほうを信じるようになった者です。

特に宗教が異端だとよく調べもしないで悪く言う人が多い中、
他者の「信じるもの」を大切にしていることに感心しました。
普遍的な愛が感じられ、読み終わって気持ちよさを感じる記事でした。

「排他的」という言葉で一つ思い出したことがあるので
それをちょっと書かせてください。
ある法華宗の仏教教団が非常に排他的で、他の宗教を攻撃しますが、
日蓮自身が「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」と言ってるのですね。
キリスト教も非常に排他的で、他の宗教は悪霊によるものだと断言し、
イエスを通して神に近づかなければ決して救われないと教えています。

その点について、あるプロテスタントの牧師がこんなことを書いていました。
「排他的な教団は自分たちの信仰に自信があり、自分たちの教えによって救われるという確信を持っている。しかし宗教は何でもいいと許容するような教団は愛と包容力があるようだが、結局は自分たちの教えに自信がないのだ」

信仰とは信じる心で、それは本質的に心の素直さと関係があると思いますが、
しかし盲信とか狂信にもなりやすく、オウムのような危険性もあり得ます。

信仰は火をも恐れない場合もあるほど非常に強固なものですが、
しかしその信仰も正確な知識と論理的な思考により崩れることがありますね。

もしそれでも崩れないなら、それは大抵はその信仰が感情の上に成り立っているからです。
つまりその教団の教えが好きで、その信仰スタイルが好きなんですね。
“好き”という感情には、善悪とか正邪の論理は敵いません。
そして“好き”と“愛”とは微妙に違うのですね。

宗教戦争の多さ

かって私も、エホバの証人さんと長時間、ディスカッションしたことあります。
礼儀正しく、誠意があり純真で一筋の方が多いですが、組織の中ではいろいろあって悩んでいる人も多そうです。

世界の戦争の大半は、宗教がらみ。
イスラエルでは1000年以上、延々と戦っています。信じる対象の違いによって起こる争いは、ただ、々、悲しいですねぇ。

宗教や組織に依存するのではなく、誰もが『内なる信仰』に行き着き、他者の信仰心にも敬意を払う。
そんな意識が拡散されるように、
微力でも、発信していきたいものです。
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