2018/08/06
宇多田ヒカルと「初恋」とアースフルネスと
7月16日放送の
NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」を
見ました。
密着取材を受けた人物は
90年代末に鮮烈なデビューを果たし
現在では自身の音楽活動の他に
音楽プロデュースなども手掛ける
歌手の宇多田ヒカルさんです。

出典:cinemacafe.net
自らのこれまでの
ひきこもごもの
音楽人生をふり返りながら
ただ
「真実に触れたい」と願い
真実に触れうる唯一の望みが
「音楽」だけだったと語る
宇多田さんは
ニューアルバム「初恋」の
制作にあたって
亡き母
藤圭子さんへの想いをつづった一曲
「ゴースト(仮タイトル)」に
想定外の苦戦を強いられます。
かっこわるい自分も
恥ずかしい自分も
認めたくない自分も
ぜんぶふくめて
正直に向き合うこと
音楽に正直であることこそが
プロフェッショナルとしての流儀だと
そう語る宇多田さんは──
ちまたにあふれかえる
たくさんの
真実らしからぬ真実を
かき分けながら
這うように
手探りで
「藤圭子さんの真実」を
そして
「生きとし生けるものの真実」を
探り当てることを
試みたのかもしれません。
そうして
ロンドンでの
レコーディング最終日に
間に合わせることができなかった
その一曲は
二週間後の東京にてようやく
完成を迎えます。
タイトルは
「ゴースト」から
「夕凪」へ
以下に
番組で紹介された
歌詞の一部を
引かせていただきます。
「夕凪」
鏡のような海に
小舟が傷を残す
全てが例外なく
必ず必ず
いつかは終わります
これからも変わらず
落とさぬように抱いた
小さくなったあなたの体
真に分け隔てなく
誰しもが
変わらぬ法則によります
急がずとも必ず
すべてのものには
終わりがある
そして
それは始まりでもある
これが
たどり着いた真実
そう「夕凪」に重ねて
ナレーションする
橋本さとしさんが
仰るとおり
「終わり」
と
「始まり」
とは
アースフルなビジョンで
まあるい地球が見える地点まで
(あるいは宇宙全体が俯瞰できる地点まで)
ズームアウトした
視界の広がりを持たせたなら
そのふたつは表裏一体
コインの表と裏です。
「ズームイン」と
「ズームアウト」
「横スクロール」と
「縦スクロール」
などで織りなされた
グーグルアースの世界のように
コインの「表」と
「裏」とのあいだに
「終わり」と
「始まり」とのあいだに
優劣などあるはずもなく──
ひいては
「幸運」と「不運」にも
「光」と「闇」にも
「善」と「悪」にも
優劣は
ない
と
言えるかもしれないのです。
(「優」と「劣」にも
優劣はないっていう
不思議なことになってきたぞ)
なぜそんなことが
言えるのかというと
相反する上記の概念たちは
相方の概念なくして
存在しえない概念だからです。
「上」がわかるのは
「下」の存在が
あってこそです。
「幸運」がわかるからこそ
「不運」な出来事が
起きてしまったとき
それを「不運」と
ぼくたち人間は
認識します。
どうやら
ぼくたちは
あらゆるそれらの
「ふたつのもの(二元性)」で織りなされた
諸行無常の
巨大なタペストリーに
編み込まれた存在
と言うことが
できそうなのです。
だってほら
あなたの体もまた
細胞の「生」と「死」
肺や心臓の「吸う」と「吐く」
記憶の「誕生」と「忘却」
「本能」と「理性」
「好き」と「嫌い」
「短い指」と「長い指」
「細い血管」と「太い血管」
「盛」と「衰」
そして
「よろこび」と「かなしみ」という
相反する
あらゆる「高音」と「低音」の律動で
あやどられています。
真実はきっと
この世界(二元性の法則)を
超えた彼方で
すべからくぼくたちに
よりそっているよと
宇多田さんの音楽が
普遍の響きとともに
ぼくに語りかけてくれている
そんな気がしました。

出典:amazon.co.jp
「初恋」すばらしかった

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NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」を
見ました。
密着取材を受けた人物は
90年代末に鮮烈なデビューを果たし
現在では自身の音楽活動の他に
音楽プロデュースなども手掛ける
歌手の宇多田ヒカルさんです。

出典:cinemacafe.net
自らのこれまでの
ひきこもごもの
音楽人生をふり返りながら
ただ
「真実に触れたい」と願い
真実に触れうる唯一の望みが
「音楽」だけだったと語る
宇多田さんは
ニューアルバム「初恋」の
制作にあたって
亡き母
藤圭子さんへの想いをつづった一曲
「ゴースト(仮タイトル)」に
想定外の苦戦を強いられます。
かっこわるい自分も
恥ずかしい自分も
認めたくない自分も
ぜんぶふくめて
正直に向き合うこと
音楽に正直であることこそが
プロフェッショナルとしての流儀だと
そう語る宇多田さんは──
ちまたにあふれかえる
たくさんの
真実らしからぬ真実を
かき分けながら
這うように
手探りで
「藤圭子さんの真実」を
そして
「生きとし生けるものの真実」を
探り当てることを
試みたのかもしれません。
そうして
ロンドンでの
レコーディング最終日に
間に合わせることができなかった
その一曲は
二週間後の東京にてようやく
完成を迎えます。
タイトルは
「ゴースト」から
「夕凪」へ
以下に
番組で紹介された
歌詞の一部を
引かせていただきます。
「夕凪」
鏡のような海に
小舟が傷を残す
全てが例外なく
必ず必ず
いつかは終わります
これからも変わらず
落とさぬように抱いた
小さくなったあなたの体
真に分け隔てなく
誰しもが
変わらぬ法則によります
急がずとも必ず
すべてのものには
終わりがある
そして
それは始まりでもある
これが
たどり着いた真実
そう「夕凪」に重ねて
ナレーションする
橋本さとしさんが
仰るとおり
「終わり」
と
「始まり」
とは
アースフルなビジョンで
まあるい地球が見える地点まで
(あるいは宇宙全体が俯瞰できる地点まで)
ズームアウトした
視界の広がりを持たせたなら
そのふたつは表裏一体
コインの表と裏です。
「ズームイン」と
「ズームアウト」
「横スクロール」と
「縦スクロール」
などで織りなされた
グーグルアースの世界のように
コインの「表」と
「裏」とのあいだに
「終わり」と
「始まり」とのあいだに
優劣などあるはずもなく──
ひいては
「幸運」と「不運」にも
「光」と「闇」にも
「善」と「悪」にも
優劣は
ない
と
言えるかもしれないのです。
(「優」と「劣」にも
優劣はないっていう
不思議なことになってきたぞ)
なぜそんなことが
言えるのかというと
相反する上記の概念たちは
相方の概念なくして
存在しえない概念だからです。
「上」がわかるのは
「下」の存在が
あってこそです。
「幸運」がわかるからこそ
「不運」な出来事が
起きてしまったとき
それを「不運」と
ぼくたち人間は
認識します。
どうやら
ぼくたちは
あらゆるそれらの
「ふたつのもの(二元性)」で織りなされた
諸行無常の
巨大なタペストリーに
編み込まれた存在
と言うことが
できそうなのです。
だってほら
あなたの体もまた
細胞の「生」と「死」
肺や心臓の「吸う」と「吐く」
記憶の「誕生」と「忘却」
「本能」と「理性」
「好き」と「嫌い」
「短い指」と「長い指」
「細い血管」と「太い血管」
「盛」と「衰」
そして
「よろこび」と「かなしみ」という
相反する
あらゆる「高音」と「低音」の律動で
あやどられています。
真実はきっと
この世界(二元性の法則)を
超えた彼方で
すべからくぼくたちに
よりそっているよと
宇多田さんの音楽が
普遍の響きとともに
ぼくに語りかけてくれている
そんな気がしました。

出典:amazon.co.jp
「初恋」すばらしかった
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