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「とおりいっぺんの色ではないからこそ人生」人工ボディ技師・福島有佳子

本日もお越しいただき
ありがとうございます




11月26日放送の
NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」を見ました




密着取材の相手は
先天的な障害や
事故や病気で失った
体の一部を補う
シリコン製のボディパーツを
制作する
人工ボディ技師
福島有佳子さんです
lif14102116170020-p1_convert_20181129173136.jpg
出典:oreno-trend.biz




当代一と
世界的にも名高い
福島さんの
人工ボディは
単にリアルなだけのものとは
一線を画します





リアルなだけのものであれば
芸術家にだって
ひいては
機械にだって
作れてしまうわけですが

福島さんのそれは
福島さんの手による
完全フルオーダーでありながら

イエス
釈迦(ブッダ)
対機説法(対話術)
彷彿とさせるような
徹底された
カウンセリングのもとに
機能性や
装着感を含めた
個人個人に
限りなく適合するものを
妥協なく
目指しているため
まるで
魂が宿ったかのような
その人のための
その人だけの
人工ボディが
生み出されることになります

body_image-300x200.jpg
出典:atsumorikouwaka.com





「その人の体を
作っているんです
その人の体を
作りたいんです」

という言葉は
メタファー(隠喩)ではなく
本気で福島さんは
そう思ってるんですね




決して長くはない
制限時間の中で
緻密に
丁寧に
相談者の日常や
ひとつひとつの動作
人生観までをも
探り出していく
福島さんは

「どんな会話の中にも
無駄が何もないんですよ
お客様から聞く話って
その人が何を感じて
どう思って生きているかなんて
全然わからないので
だからその人の生活とか動きとか
そういったすべてが
いるんですよ」

そう語ります





この
ホリスティック(全体性)なビジョンは
今月前半に放送された
「誰ひとり、見捨てない」小児神経科医・友田明美
の記事における
友田医師を
思い起こさせますね




アースフルネス的に
「無駄は何もない」の視点を
ひるがえしたなら
「無駄なものしかない」
そこには
同居しているのですが




無駄の集積は
この「2」の世界においては
見る人の目的や
主観者のビジョンによっては
福島さんのように
「宝の集積」にもなりえて






「想いを
形にしたいと思ってる
お客さんの中に
言わない何かがあるんですよ
何かがあるの

こう思っている
ああ思っているとか
つらい思いとか別としても
自分では気づいていない
思ってないかもしれない部分でも
何かが絶対に
経験上にあるような気がして
それを探すの」

と語る
福島さんは




一見すると
無駄でしかない
相談者の人生の
あらゆる集積の中から
その人が
ウソいつわりなく
笑顔になれる

ただそのための手がかりを
探ろうと
日々足掻くんですね





21歳のとき
人工ボディ技師としての
スタートを切ったものの
入った会社の
技術者は
福島さん一人

制作マニュアルなど
いっさい用意されることなく
制作に関するすべてを
自分でどうにかするよう
指令をくだした社長は
その2年後
借金を残して失踪

「障害者を食い物にした詐欺だ」
詰め寄られ
社員が次々と
辞めていくなか
最後に残ったのが
福島さん
ただ一人だったわけですが──

それでも
逃げ出すことなく
踏みとどまった
あきれるほどの
福島さんの底力には
ただただ
敬服するしかありません




そこから
顧客ひとりひとりに
手紙を書き
技術と物とで
代償を支払うことを
決断した福島さんは
振り返ることも
ためらわれるほどの
屈辱を
浴びせられながら
無我夢中で
顧客と
人工ボディとに
食らいつくように
向き合い続けたというんですね




そして
3年が過ぎたころに
ようやく
感謝の言葉が
届くまでの技術を
獲得することになり
28歳の時に
大手の技師装具会社に
迎えられ
現在の工房があります




ぼくはそんな
福島さんの
一人の人生の
あらゆるすべてに
寄り添うような
独自の塗装工程の
その流儀に
人生のうまみのようなものを
見ずにはいられません




「確かにキレイじゃないんですよ
私の作るものは
ムラも多いし
いろんなムラが入って
ひとつの皮になっているイメージなので
とおり一遍の色に
しないようにしている
だからこそ
生きてみえるようになるのかなあと
思ってる」





ぼくらの人生も
まったくおんなじです




とおり一遍の
色ばかりではない
喜怒哀楽
悲喜こもごもが
あるからこそ
人生は
「生きてみえる」に
違いありません





今日も
ありがとうございました





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ニーチェが歩んだスピノザとの「二人連れの孤独」

哲学に
興味がない方でも
一度は誰でも
耳にする
「神は死んだ」
「永劫回帰」
言葉でお馴染の
フリードリヒ・ニーチェもまた
「スピノザの神」を信じたアインシュタイン
の記事の
アインシュタイン同様
17世紀
オランダの哲学者
スピノザ
共鳴した一人なのですが
Nietzsche187a1_convert_20181127114937.jpg
出典:www.the-philosophy.com



ニーチェは
スピノザ萌えな
自身の想いを
友人のオーヴァーベクへの
手紙の中で
こんなふうに
熱烈に告白しました




僕はすっかりびっくりして
うっとりしているんだ!

僕には先駆者がいるのだ
なんという先駆者だろう!

僕はほとんどスピノザを知らなかった
僕がいま彼をもとめたというのは
ひとつの「本能的な行為」であったのだ

《中略》

むろん相違したところは大いにあるが
それはむしろ時代や文化の
または学術上の相違した点にあるのだ

つまりだね
高い高い山に登ったときのように
ときどき僕の息をつまらせたり
血を流させたりした
僕の孤独が
すくなくともいまは
二人連れの孤独なのだ

──ふしぎだね!




「ニーチェ全集」 書簡集 第1







ぼくは
ひとつは
この手紙の中の

むろん相違したところは大いにあるが
それはむしろ時代や文化の
または学術上の相違した点にあるのだ


という部分に
着目します




ニーチェのこの
時代を超えた
広いまなざしは
とても
「1」の世界的だなあって
思うんですね



どういうことかといいますと
スピノザにしろ
ニーチェにしろ
イエスにしろ
釈迦(ブッダ)にしろ
いかなる先人も
時代や文化の空気
その国のルールや
その地に根付いた
宗教観や人生観が
先にそこにあって

おのおの
その時代や文化に
則した手段や
届けたい対象者に
刺さる表現や構成を
模索しながら

その時代や文化
社会体制や
世間的様相を
かんがみながら
自分がその時点で
保持する
最善の手ふだを
選び出し
言葉や表現を
選んだ
はずだからです





仮に
上記の4人が
2018年の現代を
生きていたなら
その伝達手段は
youtubeだったかもしれませんし
SNSだったかもしれなくて
格式高い
イメージの4人ですが
選ぶ言葉だって
もっと砕けた
拍子抜けするようなもの
だったかもしれませんし
思想哲学も
まったく違ったものに
なっていたかもしれません




みんな
みんな
ケースバイケースで
たとえそれが
利己的なものだろうと
利他的なものだろうと
そのとき
そのときの
その人にとっての
最善と思える
選択の連鎖が
現在にまで
つながってきた
それが
人類史であり

ニーチェが提唱した
「永劫回帰」は
自らの
日々の
選択の連鎖を
全肯定することを
求めます





ただし
自発的な
「超人」としての覚醒と
強靭な自己肯定
とを
求めた
ニーチェに対し

「エチカ」における
スピノザは
自発的であることも
自己肯定も
自己否定も
いっさい
提唱しません





そして
ニーチェの言う
「二人連れの孤独」とは
ただならぬ
思い入れを
禁じえませんが

もはやそれは
春日太一さんが語る 時代劇ブロマンスに見る「愛」の本質
の記事における
椿三十郎(三船敏郎)
宿敵半兵衛(仲代達也)
斬りあいのような
肉体的交わりなき
まぐわい
と言っても
過言ではない
濃密なブロマンスを
思い起こさせます




孤独に
さいなまれ
苦しい思いを
されている方は
ニーチェのように
誰より近くに感じれる
同じ孤独を抱える
誰かと
二人連れの孤独を
歩む
こともまた
ひとつの答えかもしれません





ですが
スピノザの研究者で
大阪大学の
上野修教授
二人の「孤独」には
決定的な違いがある
ことを
こんなふうに述べます
※()はぼくが付け足しました



ニーチェは「神の死」を
引き受けようとして
孤独だったのに対し
スピノザは彼の神とともにいた。

誰の手も煩わせずに
いわば(自分一人で)勝手に
救われていたのである。

上野修著
「スピノザの世界」





晩年
ニーチェが発狂した
その真相は
諸説ありますが
ニーチェは
「スピノザの神(「1」の世界)」の
核心部分
には
共鳴することができず
結局のところ
「一人連れの孤独」
最期のときまで
歩みつづけたのかもしれません





今日も
ありがとうございました





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ちょっとびっくりしたできごと

先日
映画「ボヘミアン・ラプソディ」に関する
記事を投稿しましたが

すべての「寄る辺なき者たち」へ 
映画「ボヘミアン・ラプソディ」







ぼくが
映画を見たその日
11月24日が
フレディ・マーキュリー
命日であったことを
いま知りました
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出典:www.telegraph.co.uk







そんなことも
あるものですね





これだから
リアル人生ゲーム
おもしろい







今日も
ありがとうございました




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すべての「寄る辺なき者たち」へ 映画「ボヘミアン・ラプソディ」

伝説となったロックバンド
「QUEEN(クィーン)」のボーカル
フレディ・マーキュリー
その生涯を描いた
話題の伝記映画
「ボヘミアン・ラプソディ」
昨夜見て参りました
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「ボヘミアン」
映画評論家の
町山智浩さんの解説によると
「寄る辺なき者」という
意味があるそうです




CMだったり
ドラマだったり
あらゆる場面で
何度となく
耳にしてきた
クイーンの楽曲は
どうしてもその
キャッチーさが先行してしまい
人と同じものを
極端に避けていた
若かりし頃(中二病)のぼくは
当時の同性愛者の
ムーブメントだったとされる
フレディマー・キュリーの
筋肉質で
ハードゲイ的な
異様な出で立ちや
過剰なパフォーマンスも相まって
自分とは
縁がないアーティストのように
解釈してしまい
なんとなく
深入りすることなく
やり過ごしてきてしまったのですが




そんな
過去に築かれた
ちまちました
先入観は
今回の映画で
ぶっ飛びました





そのキャッチーな
音楽性にも
出で立ちにも
すべてに
そうなるに至った
筋道があったことを
映画的
音楽的な感動の
つぶてが降り注ぐのとともに
思い知らされることになった
のです




歯が浮き出た
自らの容姿や
ペルシャ系の両親から
授かった名前(本名ファルーク・バルサラ)を
改名してしまったこと
一人の女性を
純真に想いながらも
肉体的には
男性を求めてしまう自分
といった
様々なコンプレックスへの
ロック的な反骨精神
あるいは
コンプレックスをも
人生の豊かさへと
昇華させんがための
ナルシストな
パフォーマンスだったり
豪華な衣装や女装
「クイーン」のバンド名
(ドラァグクイーンを
示したバンド名とも
言われてるそうです)
だった
ことが
映画を通して
理解することができたんですね




フレディを見ていると
自分の中に
確固とした
「美意識」
あるいは
「真・善・美」を持っている人間は
つくづく強いなと
思わされます




ぼくが出逢ってきた
魅力的な人や
強く
あたたかいこころの
持ち主たちは
総じて
自分の中の
「美意識」みたいなものが
確立している方が
ほとんどです




とはいえ
人間ですから
どんなに
確固たるものを
持った者でも
誰しもが
自分の中に
宿された
「美しさ」ではない
「醜さ」とも
向き合うことを
避けることができません





けれども
確固たるものを
持つ者は
それが羅針盤となり
「醜い自分」をも
豊かさに変換していく
そんなエネルギーをも
同時に
宿しているんですね

フレディが
そうであるように





実はそれは
誰の中にもあって
誰からも
奪うことができない
「0」の世界からの
贈りもの
なのですが

持っていることに
気づかぬ者は
他人や社会が決めた
価値観や人生観に沿って
その人生を
歩み終えてしまいます





映画の終盤

当時の
社会的な
差別意識によって
公表することが
かなわなかった
セクシャリティの問題や
HIV感染
孤独に抱えながら
限られた時間をしか
生きられない
フレディは
メンバーとともに
世界150ヶ国で放送された
過去最大規模の
チャリティーコンサート
「ライブエイド(1985年)」の舞台へと
立ち上がります




最後の一曲として
唄われ
名盤「オペラ座の夜」よりも
早い時期に
完成していたという
「We are the champion」
別れの意味
込められた一曲で
奇しくも
死を目前とした
予言的一曲
となったことは
若かりし頃の自分には
想像することすら
できませんでした

いかにも
アメリカ的な
盲目的な
自国愛の歌のように
受け止めていたんですね




高らかに
なりひびく
フレディの
「ぼくたちは
勝者なんだ」

というメッセージは

地面に倒され
砂を舐めさせられ
顔を蹴られるような
様々な悲しみや
様々な屈辱を
抱えている
そんな
「寄る辺なき者たち」にも

誰にも
奪えない
誰にも
破壊できないものが
宿されていることを
伝えたかった
フレディからの
最期の贈りもの
だったのかもしれません







今日も
ありがとうございました




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「絵」を見ず「額」を見る人々

ありとあらゆる
争いごとが
 をめぐって
くりかえされるよ

ありとあらゆる
略奪が
 をめぐって
くりかえされるよ




人生
という名の
美術展に
足を運び
訳知り顔で
額だけを眺め
額を求めて
その能力を
いかんなく発揮し
挙句
額にしがみついたまま
不毛な
蹴落とし合戦を
始める人々





額を手放さない
その人々を
ロープの外からは
見ることがかなわず

蹴落とされた
人々だけが
メディアの前に
姿を現し
あわれみの声や
罵声が
ロープの外で
飛び交うんだ




こんなにも
滑稽な
光景が
今日も
こんこんと
くりかえされてる




 の引き立て役
それこそが
 であるように

見るべきもの の
引き立て役
それこそが
見なくてもいいもの に
ほかならないことを
額を独占する人々は
たぶん知らない




きみが
見ているものは
額 だろうか
それとも
絵 だろうか




ぼくはというとね
絵を見て
額を知るために
額を見て
絵を知るために
くもり空の今日も
美術展へと
くりだすんだ

frame00_convert_20181124112219.jpg
出典:store.shopping.yahoo.co.jp







「Young World feat VERBAL(m-flo) & Shing02 / DJ Deckstream(ディー・ジェイ デックストリーム)」
作詞 VERBAL & Shing02
作曲 DJ Deckstream

ノンフィクションと題したフィクションの世界
何がリアルで何がフェイクかパッと見じゃわからない
サクセスストーリーを語られ、それを真に受ける世代
でも結局は大人色に染まった迷彩
柄を着た兵隊にさせるための現代のプロパガンダ







今日も
ありがとうございました



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プロフィール

 友資

このブログの筆者: 友資


初めて訪問された方は、
  vol.1「アースフルネス」ってなに?前編の動画を見ていただくか、


初投稿記事
  「アースフルネス」とは?前編
をクリックいただけましたら幸いです。

以下の
アースフルネス「7」ビジョンについての解説は、
哲学やスピリチュアルに馴染のない方は
難しく感じるかもしれません。
それぞれの世界の動画解説もあるので
まずは動画をみていただくことを
お勧めします。

  「2」の世界(天秤世界&父性世界)についての解説
  「1」の世界(縁起世界&母性世界への扉)についての解説 前編  後編
  「0」の世界(悟り世界&母性世界)についての解説 前編  後編

いずれもこのブログの
骨格を成す記事で、
このブログだけの「公理(ものさし)」でもあります。

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