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「豊かな死に方」を考えることは「豊かな生き方」を考えること

本日もお越しいただき
ありがとうございます


昨日の記事
人は「真なる受容」を求めて旅する生きもの 映画「レスラー」
映画評論家で
在米ジャーナリストでもある
町山智浩さんが
ツイッター上で
広げてくださったことをきっかけに
普段では考えられないような
反響があり
ありがたかったですね




宇多丸さんや
高橋ヨシキさん同様
今なお
その豊穣な映画評から
学ばせてもらっている
いちファンとしては
やっててよかったなあと
気持ちを新たにできた
うれしいできごとでした

つくづく
リアル人生ゲーム
何が起こるかわかりません





さて
今日の記事はというと
「死生観」について




高齢化社会の
現代にあって
日々
高齢者と接することを
くりかえしていると
多くの高齢者が
明確な死生観を
持つことがないまま
明確な思考能力が
うしなわれる年齢を
迎えている
現実に
遭遇します




そうなってからだと
自分の生活は
もちろんのこと
死生観までをも
身内の者や
介護支援専門員(ケアマネージャー)などの
解釈や判断に
身をゆだねるしかない
状況となり

ある意味
それはもう
「自分の人生では
なくなってしまう」ことを
意味します





スウェーデンもまた
日本と同様に
高齢化社会が進んでいて
認知症患者も
多くいるようなのですが
病状管理の権限が
医師にある日本に対し
スウェーデンでは
介護士に
その大きな権限が
与えられていて
介護士によって
高齢者に
本当に必要な助けだけが
くみ取られる
システムが
確立しています

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出典:www1.cbn.com




しかも
驚くべきことに
スウェーデンにおいて
介護士は
「公務員職」
なのです




当然ながら
安定した収入を
得ることができますし
離職する人も
ほどんどいないかと
思われます




ぼくもまた
いち介護従事者ですが
日本の現状の
介護士の待遇との
雲泥の差には
驚きを隠せません




また
スウェーデンの高齢者は
子供などの親族と
一緒に暮らす
というケースが
ほとんどないそうなんですね
(それはそれで
ちょっぴりさびしいですが)




認知症の
高齢者でさえもが
一人暮らしをする方が
ほとんどで
高齢者の自宅を
介護士が巡回するか

あるいは
高齢者は
施設に入ることができて
その費用はすべて
国が負担してくれます




家族が
経済的負担を
強いられることはなく
「親の世話をするために
離職する」

というような問題も
起こるはずもありません

(スウェーデンの消費税率は
25%と高額なのですが
食料品や交通費は12%
書籍や新聞等などは6%と
軽減税率が
よく考えられて
できているようです)




スウェーデンの
施設では
とにもかくにも
本人の意思こそが
尊重されます





自由に
外に出ることもできますし
それで
事故に遭ったとしても
自己責任で
施設や
家族の監督責任が
問われることは
ないそうです




さらにスウェーデンでは
日本のような
「延命のための延命治療」という
不毛な延命治療は
施さない死生観が
しっかり根づいています





胃瘻(いろう)という
日本では一般的な
食べ物を
飲み込めなくなった人へ
直接胃に繋いだ
チューブから
栄養を送り込む
というような処置も
スウェーデンでは
当たり前にしないようです

なんと
スウェーデンで
胃瘻は
「老人虐待」に
あたる
のです




なので
スウェーデンでは
延命のための延命による
「寝たきりの高齢者」
おりません




国民が
一丸となって
介護する側も
される側も
寝たきりにならないよう
健康に配慮し
最善を尽くす





それでも
寝たきりになったら
それは
死を受け入れる時期が
来たのだと
いさぎよく受容する





そういう人生観や
死生観を
スウェーデン人は
持っているようなんですね





お年寄りの
誕生日に
「長生きしてくださいね」
言葉をかけることは
いまだに
通例とされ

ぼくの勤める
事業所でも
同様のメッセージを
寄せ書きすることが
通例ですが




現時点で
自分の力で
明確に
考えることができる
世代の人々は

ぼくたちは「健康になるため」に生まれてきたのか?
の記事にも通ずる
「健康」という
自己メンテナンス

日々
お世話になり
様々な体験を
もたらしてくれる
肉体に
丁寧に
ほどこしながらも




医療にまつわる
経済強者の
懐を肥やすだけの
「長生き」こそを
良しとする
「死生観」とはちがう




「長さ」ではない
「質」の死生観

アースフルな
ビジョンでもって
育むときなのかもしれません




いさぎよい
豊かな死に方を
模索するということは
そのまま
いさぎよい
豊かな生き方を
模索することに
ほかなりません
からね





今日も
ありがとうございました





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人は「真なる受容」を求めて旅する生きもの 映画「レスラー」

本日もお越しいただき
ありがとうございます




10月15日の
TBSラジオ「アトロク」
スポーツ映画総選挙の特集の中で
第2位に選ばれた
映画「レスラー」における
映画評論家の
芝山幹郎さんと
町山智浩さんのお話から
初見の感動が
よみがえってしまったので
今回思わず
取り上げてしまいました
※ネタバレあります
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出典:talkfilmsociety.com




ミッキー・ローク演じる
20数年前に
人気レスラーだった
ランディ
スーパーで
アルバイトをしながら
老眼鏡と
補聴器を要しながら
どうにか
愛するプロレスを
続けてきたのですが

メジャー復帰のチャンスが
常用してきた
ステロイドの影響による
心臓発作によって
水の泡となります




現役続行を
断念したランディは
疎遠になっていた
一人娘との
関係修復という
人生の再スタートを
試みるものの
あまりの不器用さゆえに
このチャンスもまた
娘との「絶縁」という結末を
迎えることになります



家族に加え
仕事もうしない
ランディは
往年の名勝負とされてきた相手
アヤトラー
との
復帰戦に
望むのですが
現状のランディが
試合をすることは
「死」を意味するほどに
ランディのカラダは
危険な状態でした




けれども
出ちゃうんですね
ランディは




「オレにやめろと
言う権利があるのは
ファンだけだ」

大見得を切り
ラストには──

「死」よりも
尊いものがあることを
観客と
自らに
示すように
アヤトラーの
ピンフォール(抑え込み)の
気遣いをさえぎり
リングコーナー最上へと
仁王立ちします





芝山幹郎さんが
「この映画は
バカのひとつ覚えと
バカにしてはいけない映画だ」

熱く語るように
この映画のラストには
なにか
「2」の世界を超えた
純粋な何か
鳴動してやまないのを
ぼくもまた
否定することができません




プロレスというスポーツは
どこか
芝居じみて見える
ケースがあることから
とかく
揶揄の対象になりがちな
スポーツですが




相手の打撃を
防御し
かわす
「拒否」の連鎖によって
成立していく

他の格闘技とは
一線を引き





体中が
修復できないほどに
ボロボロになりながらも
痛み止めを
常用しながらも
生涯の寿命を
縮めながらも──

相手の打撃を
むしろ
「受ける」ことをしながら
強固な信頼関係を
紡ぎあげてゆき
「受け入れること」
先にある光を
求めていく
という
聖域を
築き上げていく
ランディや
レスラーたちが
見ている地平とは
なんなのか




ぼくは
アヤトラーや
大歓声の
観客たちに
包み込まれた
ランディが
コーナーの最上から
感受したものは

不器用で
傷だらけで
救いようがない
全人生の
すべてを受け止めてくれる
神とも見まがえる
大いなる信頼と
大いなる受容
だと
そんなふうに
感受したんですね




流れる水が
低い地点を求めて
終わりなき旅を
やめないように

人もまた
おのおのが
受容した
おのおのの
姿かたちや
個性や
宿命のままに

社交辞令ではない
ビジネスでもない
本当の意味で
自分を
受容してくれる
自分の居場所を
求めて
旅する生きもの

言えるのかもしれません




そして
死をも
いとわない
大いなる受容に
出逢えた
その人は
いつわりなき
真なる受容(神)を
体感する
のです




今日も
ありがとうございました





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中田ヤスタカ作詞作曲創作術に見るアースフルネス

本日もお越しいただき
ありがとうございます




テクノロジーの
最先端を
ダンスとともに
いろどる
テクノポップユニット
Perfume(パフューム)
きゃりーぱみゅぱみゅ
手掛ける
音楽プロデューサーであり
自身も
CAPSULE(カプセル)として
音楽活動を
続ける
中田ヤスタカさんの
その作曲創作術を
耳にし

「音楽って
まんま人生だな」


そう思わされる
体験をしたことが
過去にあります
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出典:matome.naver.jp





中田さんの
作曲創作術の中で
「くり返すサビ+コード進行の変化」
というお話が
あったのですが




単に
楽しい気分になる
聴き心地がいい
同じサビが
くり返されるだけでは
曲が
ドラマチックに
展開しない
ことを
中田さんは
鋭敏に察知し





くり返すサビの
メロディーの裏に
ちょっとした
コード進行の変化を
加えていく

という工夫を
ほどこすんですね




くりかえされる
サビとメロディーの
その裏側で
「悲しさ」という方向性に
コードの進行を
持って行くことによって
曲は
単調さを脱し
ドラマチックで
奥ゆきのある
豊かな音象体験が
広がる

確か
そんな意味のことを
仰っていたと思います




このことは
映画や
演劇や
小説や
ゲームなどでも
おんなじですよね




何ごとも
起こらない

人と人とが
交わらない

喜怒哀楽も
何もない物語は
あまりに
退屈で
眠気を誘います

(喜怒哀楽が
矢継ぎ早すぎても
それはそれで
うるさいですが)




落とし穴も
罠も
敵キャラも
謎解きもない
マリオブラザーズなんて
誰も買わないことは
目に見えています




実はこのことは
ぼくたちの実人生と
まったくおんなじ





表面的には

「苦しいのはイヤだ」

「困ったことには
巻き込まれたくない」

「安定した生活が
送りたい」


そう思っていても
潜在意識をも
超えたところで
ぼくたちは
それを求めています




なぜなら
それらの
逆境なくして
それらの
対となるもの



「喜び」や
「笑顔」や
「楽しい」や
「ワクワク」が
生ずることはなく



ぼくらが
体験しに来た
この
リアル人生ゲームの
根幹のところを
成さなくなってしまうことを




潜在意識を
超えた自分は
疑いの余地なく
理解している
からです





そして
もうひとつ



中田さんの
作詞創作術について
「歌詞(言葉)に
まったく興味がなく
音としてしか
言葉を聞いていない」

という
興味深いお話が
ありました




本来なら
インストミュージック(歌がない曲)だけが
やりたい
中田さんですが
歌があるほうが
多くの人に
受け入れてもらえるがために
あえて
歌詞を入れることを
する
わけです




中田さんにとって
「歌詞(言葉)は
曲(本当に伝えたいこと)を
届かせるための
エスコート役」

のようなものかも
しれません




エスコート
だなんて言うと
スマートに
目的地まで
案内してくれそうな
ものですが
このエスコート役は
決して
万能ではないし
ひと筋縄ではいかず──





中田さんも
ぼくたちもまた
悲喜こもごも
いろどり豊かな
サビと
メロディーとが
リフレインされる
この日常の中で




「エスコート(言葉)」を
目に見える
伝達手段としながら

本当に
伝えたいこと
(言葉にできないこと)を
伝えようと
することを

何度も落とした
スマホ画面のように
亀裂が入った
「希望」を
拾い直しては
ふたたび
エスコート役に
たくすことを
やめない

違いありません




今日も
ありがとうございました





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「正解はない」のと同時に「正解だけしかない」世界だよ

見えるものを
信じる人
見えないものを
信じる人
二つの平行線が
交わることは
なによりも
むずかしいことだよ




武装することを
信じる人
非武装することを
信じる人
二つの平行線が
交わることは
なによりも
むずかしいことだよ




質より量を
信じる人
量より質を
信じる人
二つの平行線が
交わることは
なによりも
むずかしいことだよ




お金を
信じる人
お金じゃ買えないものを
信じる人
二つの平行線が
交わることは
なによりも
むずかしいことだよ




梃子(てこ)でも
動かない
相手の平行線を
意固地になって
曲げようとすれば
するほどに
苦しむのは
自分自身だし
無理に
曲げられようとしている
相手だって
大迷惑




そんなことに
時間と労力を
ついやすくらいなら
ぼくなら
放っておく




けれども
ときには
避けては通れない
相手に
遭遇してしまうのが
人生であるし





正面から
ぶつかることによって
正される
何かがある
ということ
それもまた
人生だよ




結局のところ
ここにも
正解なんてものが
見当たることは
なさそうだ




そしてね
「正解なんてない世界」
ということは
「正解だけしかない世界」
ということの
裏返し

でもあるんだ






「詩」で語る
アースフルネス
のコーナーでした
今日も
ありがとうございました



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「内的行動」と「外的行動」が現実を変える バシャールとバレーボール全日本女子監督・中田久美

本日もお越しいただき
ありがとうございます

昨日は
動画撮影のための
ビデオカメラを検索してみたのですが
最低限のスペックを
備えた商品が
海外製ではありますが
いまは
5000円くらいで買えるんですね(;゜0゜)
いいのかわるいのか…
ちょっとおどろきました





10月15日放送の
NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」
見たのですが
密着取材の相手は
世界バレーで
激闘を繰り広げたことで
記憶に新しい
バレーボール全日本女子監督
中田久美
さんです
無題_convert_20181022121650
出典:www.sports-biz.co.jp



練習前に
選手が
体育館に入ってくる
その表情や
何気ない動作までをも
逃さず
観察眼を光らせ




選手にも
自らにも
言い訳を許さず
やらされてやることを
許さず
教科書どおりを
許さず

「こころなんて
折れてなんぼ」



火中の栗を
拾い続けるがごとく
能動的に
自らに問いかけ続けること

その一点のみを
求め続ける
クラクラするほどの
ストイシズムは




「意識(内)が
現実(外)を形作る」
という
スピリチュアル的な世界観に
真っ向から反して

「行動(能動性)こそが
意識(内的世界)も
現実(外的世界)も形作る」
とでも
言い放つような
力強さがあります




つくづく
この番組は
男前な女性が好きですね笑




こんなときに
思い出されたのが
チャネラーである
ダリル・アンカさんに
憑依し
地球外生命体であることを
公表しているという
バシャールの言葉でした
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出典:www.bashar.org/


※( )の言葉は
前の文章がなくても
わかるように
ぼくが勝手に追加しました





映し出されるもの(外)が変わるためには
自分自身(内)が変わらなくてはならないのです。
物質的な現実も同じ仕組です。
物質的な現実は(内が)投影されたものであり
(自身を映した)鏡の部屋なのです。
外の現実に投影されるものが
変わって欲しければ、
それがどんなものであれ、
あなたの内なる現実、
あなたの意識、
あなたのヴァイブレーション、
あなたのあり方を変えることから
始めなくてはならないのです。





ぼくは
この言葉には
加筆と修正が必要
ではないかなと
思ってるんですね




なぜなら
この言い方だと
内的意識のあり方さえ
変えていければ
自分の願望や
実現したい欲求という
外的現実もまた
連動して
オートマチックに
勝手に変化するのだと
言ってるのと
同じになってしまう
からです




自分は何も
外的行動をせずとも
内的行動を
続けてさえいれば
意識する願望が
現実となって
立ち現れてくる


こんな都合がいい話が
あるのなら
中田監督や
選手たちもまた
自己実現のための
反復練習などまったくせず
ぬくい布団の中で
世界バレーの優勝を
意識し続けたことでしょう

昨日の記事
ボランティア尾畑春夫さんの
「利他的精神」に見るアースフルネス

尾畑春夫さんもまた
被災地に向かうことなく
自宅でゴロゴロしながら
被災地がオートマチックに
復興されていく様を
毎日毎日
意識し続けたことでしょう




「2」の世界においては
確かに
「内」と「外」は
疑いの余地なく
存在しております


けれども
アースフルに
「1」の世界のビジョン
拝借するなら
実は
「内」と「外」とは
きれいさっぱり
消失してしまう
んですね




それもそのはず
ぼくたち人間が
「内」と呼ぶ
意識やこころと
「外」と呼ぶ
物質世界は
「目に見えるもの」か
「見えないものか」の
違いがあるだけで
境目なんて
どこにもなく

ぼくらは
「内」にこそ「外」を見て
「外」にこそ「内」を見る
生きもの
だからです




なので
僭越ながら
友資として
バシャールの言葉を
加筆修正させていただくなら
こんなふうになります



映し出されるもの(外であり内)が
変わるためには
自分自身(内であり外)が
変わらなくてはならないのです
物質的な現実も同じ仕組です
物質的な現実は(自身が)投影されたものであり
(自身を映した)鏡の部屋なのです
外の現実に投影されるものが
変わって欲しければ
それがどんなものであれ
あなたの内なる現実と
あなたの外なる現実とを
あなたの内的行動と
あなたの外的行動とを
両方同時に変えることから
始めなくてはならないのです






バシャールさん
生意気言ってすみませんでした!
もしよければ
いつかぼくとも対談してください

今日も
ありがとうございました





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プロフィール

 友資

このブログの筆者: 友資


初めて訪問された方は、
  vol.1「アースフルネス」ってなに?前編の動画を見ていただくか、


初投稿記事
  「アースフルネス」とは?前編
をクリックいただけましたら幸いです。

以下の
アースフルネス「7」ビジョンについての解説は、
哲学やスピリチュアルに馴染のない方は
難しく感じるかもしれません。
それぞれの世界の動画解説もあるので
まずは動画をみていただくことを
お勧めします。

  「2」の世界(天秤世界&父性世界)についての解説
  「1」の世界(縁起世界&母性世界への扉)についての解説 前編  後編
  「0」の世界(悟り世界&母性世界)についての解説 前編  後編

いずれもこのブログの
骨格を成す記事で、
このブログだけの「公理(ものさし)」でもあります。

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