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「考える感情」 人と人とを隔てる「壁」を超える力

本日もお越しいただき
ありがとうございます
今日は
「2」の世界のお話です




「考える」
「悩む」という
似ているようで
微妙に
異なる意味を持った
ふたつの言葉があります
lead_2_convert_20181019135101.jpg
出典:www.economist.com





このふたつの
違い

みなさんは
なんだと思いますか?




ぼくとしては
「負の感情」が
強く介入しているか
していないか
にあると
思っています

むろん
介入するほうが
「悩む」
です




負の感情を
ともなった
「悩む」の
延長には
ただただ
自分本位な
負の感情の
不毛な連鎖が
続いていくのみで
現在進行形で
「悩む」にあるとき
人が
いい答えに
たどり着くことは
あまりありません




悩んだ先に
いい答えが
待ち受けていたという
事例は
数多くありますが

それは
身もこころも
独占していた
「悩む(負の感情)」が
疲弊からか
リラックスからか
ふと抜け落ちた
その隙間から
「考える」
流れ込んだからこそ

言うことができそうです
(こんなときに
併せて
インスピレーション
流れ込んだりします)




いっぽうで
負の感情を
介入させない
「考える」
一歩
一歩
論理的な答えを
たぐり寄せてくれますし
筋道立てた
思考運動を
阻害する
激情(強い感情)から
身を守る役割も
果たしてくれます





「考える」が
身についた人間は
正論を言うし
冷静ですし
理知的な人にも見え
一見すると
なんのデメリット
ないように思えますが




「考える」だけでは
どうにもならない
乗り越えられない
「見えない壁」
すべての人間には
備わっている
ようで




その壁を
超えるものこそが
やはり
「感情」
なんですよね




正も
負も
よくも
わるくも
感情こそが
人を動かす熱量を
作り出し
人と人とを
隔てる壁に
熱を伝道させ
壁の向こう側の
一人の人間の
そのハートに
熱を届けさせる
底知れぬ力を宿した
人間ならではの
ドラマチックな能力
です




だからこそ
ぼくは
その熱が
他者の人生に
影響をおよぼす
ことを
自覚しつつ
「考える」を
ベースとして
据え置きながら
ここぞというところで
なるべくなら
利己的な
「負の感情」ではない
利他的な
「正の感情」を
主に発動できる
「考える感情」を
育んでいきたい

そう考えています




「考える感情」を
育む力が
マインドフルネス的な
観察眼(第三者の視点)

アースフルネス的な
多角視点

宿されていると
ぼくは考えますが




バレーや
バスケットボールや
サッカーなどの
団体球技において
広い視野を持った選手ほど
最善の突破口(ナイスアシスト)を
見つけ出す
のに
似ているのかもしれません





えらそうに語る
このぼくも
まだまだ
「考える感情」を
使いこなせている
わけでもありませんが

過去の自分と比べたなら…

まさに
雲泥の差です笑




今日も
ありがとうございました




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すずめが2匹
ベランダに遊びに来ました





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「伝わった!」のよろこびの立役者は「伝わらなかった…」という残念な気持ち

持って生まれた
特性や
つちかってきた
経験などによって
誰しも
同じものごとを
別な角度や
別な高さから
見ているため





多少の
意見の相違が
ある人から
絶望的なまでに
分かりあうことが
不可能な人まで
避けがたく
現れることになるのですが





どうしても
伝えなければならないことを
伝える必要性がある
相手なら

まずは
相手の話を
全面的に
受け入れる姿勢で
構えながらも

相手が
どの高さ
どの角度から
ものごとを見ていて

その「思い込み」の
硬化度は
手遅れの状態か?

その「思い込み」を
軟化させられる
余地は
残されているか?

などなど

無理なく
少しずつ
相手のビジョンと
自分のビジョンとが
「折り合える接点」を
探っていくことが
大事なこと
だと
ぼくは考えます




人間には
いったん自分を
受け入れてくれた
その相手の話なら
たとえ意見が
食い違う相手だと
わかっている相手だとしても
少しは
聞いてみようか
という気になる

習性があるんですよね

(ただし相手が
堅牢なP1ビジョン
ケースの場合は
受ける心身のダメージが
あまりに大きいので
なるべくなら
「関わらない」という選択を
お勧めします)



こんなブログを
読んでくださっている
みなさんは
その時点ですでに
「多角的な視点」の
下地や
素養を
持っている方
だと
そう思います





ですが
自分を中心として
世界を見ている方は
「自分が中心」なだけに
「多角性」を
拒絶する
反射的な拒否反応を
保有しています


日々
「多角」を打ち出す
こんなブログの
理解につとめようと
してくださることは
奇跡でもない限り
起こりえないかと思われます





ですが
それでいいのです




なぜなら
「1」の世界(縁起の世界)のビジョン
人間関係を
読み解くなら
わかりあえない人がいるからこそ
どうにか
わかりあうための
工夫(K.U.F.U.)や最善を
凝らすという
「人生の面白み」を
ぼくらは
味わうことができる





たとえ
そのときは
伝わらなかったとしても

「伝わらなかった…」
残念な思いが
あるからこそ
別な誰かに
「伝わった!」ときの
大きな喜びがある


という
別な手ふだ(視点)
持っている
ただそれだけのことで
「伝わらなかった」
という残念な思いを
それほど
引きずらずに
済むはずなんですよね




「アースフルネスライフ」へと
繋がる
トンネルの掘削作業は
ぼくがこうして
これからも
最前列で
せっせとやりますから(^-^)




より多くの
手ふだ(多角的なビジョン)
ストックできる
豊かな素養に満ちた
みなさんとともに
あわてることなく
「でもこんな見方もあるよ」
幼子の手に
そっと
手を置くときのように
相手の
隠された能力を
引き出してあげられるような
最善の手ふだ

さりげなく
提示していく
ような
そんな活動がしていきたい
今日この頃です




今日も
ありがとうございました



無題
ぼく「ちんさん♥」
ちんさん「なんだまたこいつか… おなかすいたなあ…」

「伝える」ってむずかしい…



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闇は死なない けれども光もまた死ぬことはない

本日もお越しいただき
ありがとうございます



現地の方たちは
今なお
予断を許さない
状況に置かれている
北海道胆振東部
震源地とした
震災なのですが




ツイッターの
タイムラインに
北見市の
こんな素敵な画像が
流れていました







ぼくは
この光景が
たくさんのSNS利用者の
共感を呼び
拡散されたこと
そのものが
現状の北海道
ひいては
日本中の人々への
れんさんからの
というよりは──

この
「「光」と「闇」という
対になる二つのもので
構成された世界
そのもの」
からの
エールに思えて
なりません




このことは
光と影のあいだにこそ「永遠」はやどる
の記事でも
お話しした
以下の抜粋
そのものです




いつなんどきも
闇のみで
世界が
塗りつぶされることはないし
光のみで
世界が
塗りつぶされることもない
光と闇が
シーソーのように
ゆらぎながら
「調和」を保っている

それがこの世界の
摂理であり
ルールのようなものです






ぼくらは
いつだって

闇は死なない
けれども
光もまた
死ぬことはない


そんな世界の
まんなかで
光を灯すことを
決して
やめることがない
のです




今日も
ありがとうございました






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フロントガラスの汚れを落とすと人生(ドライブ)は豊かになる

本日もお越しいただき
ありがとうございます


今日はというと
「生きる」という行為を
「自動車の運転」
置き換えながら
有意義なドライブ(人生)を
楽しむためには
どうすればいいのか

その答えを探す
試みをしてみたいと
思い立ちました




ぼくたち人間は
生きる過程の中で
何かしらの
タイミングで
何かしらの
目的地を見い出し──

そこまでの道順を
調べたり
道に迷ったり
引き返したり
急ブレーキしてみたり
ウインカーを出し忘れたり
渋滞に巻き込まれたり
当て逃げされたり
事故を起こしてしまったりと
様々な出来事に
遭遇するわけですが




100%クリアな
フロントガラス
リアガラス
ドアガラスを
そろえている人は
この世には
一人もおりません

それはあの
ブッダ(釈迦)ですらも
そうです




ぼくたちは
あまりに長い距離を
運転してきたため
ガラスがひどく汚れ
視界が相当に
悪くなっていることに
気づかないまま
あたり前の日々を
あたり前に
過ごしているのですが

o0400030013774796468.jpg
出典:robertfinkelstein.wordpress.com


覚者として
崇められるようになってなお
自分自身も含め
誰しもに
程度の差こそあれ
汚れはあることを
うわっつらの
知識ではなく
カラダで
「自覚できている」
というところに
ブッダが獲得した
アースフルな柔軟性を
びんびんに感じます




汚れが少ない
ということは
視界がとても
良好なことは
容易に
想像がつきますよね




ガラスから見える
視界が良好であることを
ぼくたちの人生に
置き換えるなら
自分自身や
この世界の
あらゆる現象を
「あるがままに
とらえられているか
否か」

というところに
繋がっていきます

マインドフルネス
ビジョンですね




「あるがままの世界」とは
簡単に言えば
判断や解釈(主観)が
取り除かれた
世界
のことなのですが

初投稿記事
アースフルネスとは? 前編
でも
お話ししているとおり
「主観汚れ」
100%完全に
きれいさっぱり
取り除くことは
いかなる聖人にも
不可能なことで

仮に
取り除くことに
成功したなら
そのことは
ある意味
この世界を
完全に
認識できなくなった状態
つまり
「存在の消失」か
「死」を意味します






肉体を持っている
ということは
主観を持っている
ということと
不可分(セット)

というわけです




人生には
自分は
「間違ってない」と
確信していたはずが
実は
「間違っていた」と
気づかされることが
往々にしてあります

「嫌いだった」
はずが
「好きになってしまった」
などという
ラブコメチックな展開だって
人間関係に限らず
食べ物や仕事や
趣味においても
よくあることですよね





軽度の汚れによる
うっかり解釈は
上記の
ラブコメケースのように
ときに
人生のうま味を
引き出す
「スパイス」となりますが

重度の汚れの
厄介なところは
せっかくの
楽しいドライブを
ムダに長く
気分がわるいまま
過ごすことに
させてしまったり

思い込みや
妄想が
暴走すれば
暴走するほどに
車中の空気は
わるくなり
景色を眺める
余裕すらなくなる
といった
せっかくのドライブを
台無しにしてしまうほどの
「読み違い」を
してしまうところ
にあります




アースフルネスな
ビジョンを養うことは
自らのガラスを
少しずつ
少しずつ
拭き取る役割を
果たしてくれます

泥が跳ねて
再び汚れることも
走っている(生きている)のですから
仕方のないことですが
アースフルなダスターは
コーティング効果も
期待できるので
だんだんと汚れは
付きにくくもなっていきます




景色が
今までよりも
よく見えるぶん
車間距離の取り方が
上手になりますし
制限速度や
進入禁止や
一時停止の標識が
よく見えるようになるので

思い違いの
急ブレーキや
偏見から来る
急発進も
少なくなり
小さな
事故はあっても
大きな事故までは
起こしにくくなります




そして
汚れの隙間から
わずかに見えていた
世界だけが
この世界のすべてだと
思い込んでいないので
どの人にも
様々な「正しさ」や
「間違い」があり
様々な「事情」があり
「言いぶん」がある
という
多角性と
多面性を
世界に見ることになります




それは
ドライブに
落ち着きと安らぎを
与えてくれます

ドライブに
豊かさと
奥ゆきを
与えてくれます




認めることができる
他者が増える
ということは
同時に
自分自身を
認めてあげれるということと
決して
切り離せないからです





見やすくなった
フロントガラスから
見える景色の中で
目的地が
輪郭を帯びてきて
行ってみたい場所や
やってみたいことに
突き動かされ
迷わず
アクセルを
踏み込まずには
いられないのなら──




それはきっと
あたなが本当に
やるべきことです





今日も
ありがとうございました




IMG_20180904_140103_convert_20180904140537.jpg
お昼寝中





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アースフルネス「7」ビジョン

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 友資

このブログの筆者: 友資


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初投稿記事
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をクリックいただけましたら幸いです。

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アースフルネス「7」ビジョンについての解説は、
哲学やスピリチュアルに馴染のない方は
難しく感じるかもしれません。
わからないところがあれば、遠慮なく質問してください。

  「2」の世界(因果の世界)についての解説
  「1」の世界(縁起の世界)についての解説 前編  後編
  「0」の世界(悟りの世界)についての解説 前編  後編

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