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「ハクナマタタ」は「ボウジソワカ」ライオンキングと龍樹と般若心経

本日もお越しいただき
ありがとうございます

昨日のメルマガ動画
「2」の世界とは何か?
字幕付き動画解説

いかがだってでしょうか^^
ぜひとも
感想やご意見などお寄せ下さい





今日は
前回の記事
「あなたは太陽を見たことがあるか」
マイスター・エックハルトと老子

前々回の記事
「神」という概念を超えた「神」
マイスター・エックハルトとスピノザ
に続く
最終回です




みなさんは
仏教が大きく
ふたつの流れに分かれることを
ご存知でしょうか




ひとつは
「上座部仏教」
「小乗仏教」
とも呼びますが
この呼び方は
もうひとつの流れ
「大乗仏教」による
蔑称(上から目線)だとも言われています




釈迦(ブッダ)の教え(原始仏教
なるだけ忠実に
受け継がれたものが
上座部仏教で
上座部をふくむ部派仏教に
異を唱える仏教徒たちの
宗教改革から発展し
大きく枝分かれしたものが
大乗仏教
なんですね




日本に根付く
お寺がある仏教のほとんどは
浄土教
禅宗
密教(真言宗や天台宗)
日蓮宗
といった
大乗仏教です




釈迦(ブッダ)の意志を
引き継いだとも
否定して生み出されたとも
諸説ありますが
大乗仏教の基盤を
生み出したとされる人物に
龍樹(りゅうじゅ/ナーガー・ルジュナ)という仏教僧がいるのですが
20171016185706.jpg
出典:hon-yaku.hatenablog.com




龍樹がまとめたとされる
600巻以上もある
経典中最大の経典
「大般若波羅蜜多経(通称は般若経)」
膨大な量の哲学を
たったの262文字
凝縮した
お経の中のお経
(ケーキの中のケーキと言えば
「ショートケーキ」
といったところでしょうか)
「般若心経」の中で
言うところの
「空(くう)」もまた
マイスター・エックハルトの言う「無」
同じと言って
差し支えなさそうなんですね
(般若心経は作者不明です)




一部
ぼくの勝手な訳ですが
抜粋します

あえて「空(くう)」を
「無」に置き換え
書いてみます





色不異空(しきふいくう)
空不異色(くうふいしき)


世界は無と異ならないし
無は世界と異ならない


色即是空(しきそくぜくう)
空即是色(くうそくぜしき)


世界は無であるし
無は世界でもあるんだ


受想行識(じゅそうぎょうしき)
亦復如是(やくぶにょぜ)


五感も
思考も
感情も
意志も
意識も
同じことさ


舎利子(しゃりし)
是諸法空想(ぜしょほうくうそう)


なあ舎利子(釈迦の弟子の名前)
この世(「2」の世界)のあらゆるすべてが
無なんだ


不生不滅(ふしょうふめつ)
不垢不浄(ふくふじょう)
不増不減(ふぞうふげん)


この世には
生も死もない
けがれることも
きよめられることもなければ
増えることも
減ることもないのさ





このあとの
是故空中(ぜこくうちゅう)から
始まる言葉からは
怒涛の「ないない攻撃」
始まります




この世界において
名前を付けて
呼べないものだけが
確かであると
いうことは
目に見えるものも
見えないものも



思考も
感情も
意志も



五感も
肉体も
肉体を使って
感受できる世界も



苦しみも
悲しみも
喜びも



何かを知ることも
何かを得て
何かを失うことも



名前を付けて呼べるもの
概念として考えられるものは
すべて「幻想」だ

ということを
意味します



だからと言って
ぼくたちが生きる
この世界が
「無意味」なものである

そんなことを
言っているわけではなく

名前を付けて
呼べるものすべてを
徹底的に打ち消していくことによってしか
味わえない
ホンモノ(神)を
味わってほしいがために
あえて作者は
怒涛の「ないない攻撃」を
試みているわけです


ジバニャンの
ひゃくれつ肉球
のように!
CahsAyeWcAYHz-R_convert_20190126110110.jpg
出典:twitter.com




だからこそなのか
最後は
祝福を意味する
掛け声のような言葉で
締めくくられます



羯諦羯諦
波羅羯諦
波羅僧羯諦
菩提薩婆訶
ギャテイ
ギャテイ
ハラギャテイ
ハラソウギャテイ
ボウジソワカ




諸説ありますが
ぼくの個人的解釈としては
ライオンキングにおける
lion-king_convert_20190126111002.jpg

「ハクナマタタ」
という言葉が
いま思いつく言葉としては
とても近いように思います




ハクナマタタ(スワヒリ語)
掛け声には
劇中の台詞のとおり
「心配ないさ
この世のことは」

といった意味が
込められていますが




それもそのはず
何を隠そう
この世(「2」の世界)は
神の映写機によって
映し出された
幻想だからです




エックハルトは

被造物(人間もふくむ万物)にできる
最高のこととは何か
それは無に徹することだ

と言いますが
ぼくは決して
無に徹することが
最高のことだとは思いません

というより
そんなことは
エックハルトにも
誰にもできやしません




「こんな世界
所詮は幻想なんだから」と
無下にできなかったからこそ
エックハルトも
イエスも
釈迦(ブッダ)も
龍樹も
老子も
よりよき世界のために
伝えることを
やめなかった
わけですからね



そして
無(神)から
獲得したものを
この「リアル人生ゲーム」に
活かしてこそ
ようやくそれは
「最高のもの」に
なりえるはず
ですからね(゚∀゚)





「宗教」から読み解く
アースフルネス
のコーナーでした
今日も
ありがとうございました


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「あなたは太陽を見たことがあるか」マイスター・エックハルトと老子

前回の記事

「神」という概念を超えた「神」
マイスター・エックハルトとスピノザ
では

マイスター・エックハルトの言葉や
その生涯から
釈迦(ブッダ)スピノザとの
類似性を見ていきましたが
下に引いた
エックハルトの言葉を
一読したなら
「おや」と
気がつく方も
いらっしゃるかもしれません




汝の自己から離れ
神の自己に溶け込め
さすれば
汝の自己と神の自己が
完全に一つの自己となる

神と共にある汝は
神がまだ存在しない存在となり
名もなき無なることを理解するであろう






「名もなき無」といえば
古代中国の
賢者とも哲学者とも呼ばれる
老子のことを
避けて通れそうもありません

老子は
エックハルトが言うところの
「無」
「道(タオ)」と呼びましたが
これを「神」と言い換えても
差し支えないと
ぼくは考えます




拙い訳で恐縮ですが
見えるものと見えないものは「道(タオ)」の胎内で踊り続ける
『老子道徳経』體道第一

という記事から
引用します

「道(タオ)」を「神」に変換し
読んでみて下さい





「道(タオ)」は
生き方だとか
人生の道しるべ
なんかじゃないんだ

「道(タオ)」は
言葉で
言い表せたり
名前が
付けられるもの
なんかでもないんだ




「道(タオ)」の
母なる愛を
継受し
湧きいづることになった
すべての言葉と
すべての万物
相対するすべての
無(見えないもの)と
有(見えるもの)とは
「道(タオ)」の
その胎内で
踊り始めたよ




だからこそ
無(見えないもの)は
常に
目には見えない形で
「道(タオ)」の
その不可思議を
見てみたいと
欲し

有(見えるもの)は
常に
目に見える形で
「道(タオ)」の
その姿形を
見てみたいと
欲し続けるのさ




この
「有」と
「無」とは
同じ
母なる「道(タオ)」を
みなもとに
名を異にしているもの
ただそれだけのことさ

言わずもがな
きみのなかにも
「有(肉体)」と
「無(こころ)」とが
宿されているだろう?




両者は別名
「2」の世界とも言い
「2」の世界の
その先には
「道(タオ)」への
扉(「1」の世界)が
ひらかれているんだ






エックハルトの言う「無」は
「0」の世界を意味し
老子の言う「無」が
「有(ある)」「無(なし)」の
相対性(「2」の世界
の中の
片側の「無」を
意味するのですが



「神」にしても
「仏」にしても
「道」にしても
「無」にしても
「ゼロ」にしても
「0」の世界を
示す言葉は
いろいろあるもので
示す言葉が
人それぞれ違う
というところに
生まれ育った風土や
独自の軌跡をたどってきた
伝達者たちの
それぞれの
「個性」や「人間」
を見ます




そして
「0」の世界を
言葉で示した瞬間に
「0」の純度が
果汁100%から
果汁10%くらいに
大幅に落ちてしまう

というジレンマが
伝達者たちの中には
常に孕んでいて

おそらくは老子も
エックハルトも
釈迦(ブッダ)も
あのイエスも
その絶対的な
「2」の世界における
見えない壁

思わず
爆笑したか
苦笑いしていたかもしれません(´Д`)




たとえば
異常気象によって
黒く厚い大気が
何十年も地球を覆うことになり
写真や画像もいっさい残っておらず
生まれてこのかた
「太陽」を一度も見たことがない
若者が大勢いたとして──

ManDogSun_Hackmann_960_convert_20190122134414.jpg
出典:apod.nasa.gov



太陽の記憶を持った
老人たちが
太陽がどんなものなのかを
言葉で説明したなら
それは
見たことがない若者たちのあいだで
伝言ゲームのように
「真実の太陽」とは違った
誤った解釈に
変化していくことは
想像にかたくありません


そしてそれが
現在にまで体系化され
組織化した
あらゆる宗教の
あらゆる宗派と
言えるのかもしれませんね




どんな言葉を
用いようとも
五感や
全身全霊で
一瞬でも体感した
太陽に勝るものは
どこにもありません





次回は
そんなまだ見ぬ太陽を
「空(くう)」と呼んだ人物を
ご紹介できればと思っております(^_^)




「宗教」から読み解く
アースフルネス
のコーナーでした
今日も
ありがとうございました


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「神」という概念を超えた「神」マイスター・エックハルトとスピノザ

本日もお越しいただき
ありがとうございます




タイトルの
マイスター・エックハルトという人物は
「聖書」
絶対的権威を持つ
社会体制の中
それに異を唱える者には
極刑をも辞さない
13世紀のドイツ(神聖ローマ帝国)を生きた
キリスト教神学者であり
神秘主義者です
18637c1d86baf0804583d308dae3bdfd_convert_20190121115024.jpg
出典:www.pinterest.es

(現代のスピリチュアルメッセンジャーに
エックハルト・トールという
著名な人物が現存しますが
その方とは別人です)






そんな社会体制のなか
しかも自身が
キリスト教神学者という
立場にありながら
「言葉で表せる神は幻想にすぎない」
といったニュアンスの
宗教改革的発言をした
エックハルトは
火刑に処される直前に
亡くなった
ということなのですが
(死因は不明です)

「自己からの離脱」
だったり
被造物(森羅万象)は「無」である
といった表現をする
西洋の宗教人や哲学者を
ぼくは他に知らない気がします




「離脱(解脱)」や
「無」と言えば
東洋の哲学者でいうところの
あの人
釈迦(ブッダ)の十八番
ですもんね




「被造物(人間もふくめた万物)」は
それ自体では
存在すらできない
純粋な無である」
とは
エックハルトの言葉ですが





この言葉は
「神(0の世界)」という「実体」から
映写機のように
投影された世界が
この世界(2の世界)だ
ということを
意味します




「神」という概念を
追い続ける限り
どこまで行ってもそれは
映写機から映し出された
幻想であり
「神」をかたどった
「神ではないもの」であり
それでは決して
「神」に辿り着くことはなく




個人個人が
思い描く「神」という言葉
「神」というイメージや
固定概念を
きれいさっぱり
捨て去ったところに
初めて
『「神」は顕現する』 

そう言っているわけです
(釈迦(ブッダ)の解脱のプロセスに
そっくりですね)





そんな思想を
エックハルトの時代と場所の
状況下で
公言したなら
有神論の仮面をかぶった
「無神論」
と受け取られても
いたしかたなく





教会や聖職者といった
神と人とを仲介する
場所や人間は
不要になってしまいますから




とうぜんながら
聖職者や
信者の人々から
強い反発を受けますし




聖書と信仰によって
国の統制を保っていた
時の権力者が
放っておくはずもありません




ぼくはここで
西洋人であることや
その思想哲学もふくめ
連想してしまう
一人の人物を
思い浮かべます




それが16世紀の
オランダを生きた
哲学者スピノザです





彼もまた
哲学(理性)は
神学(信仰)の
婢女(召し使いの女)でなければならない

といった
一神教的神(信仰)を
理性的にとらえようものなら
「非国民」と同義の
社会体制にあって
身の危険を顧みず
「神即自然(「1」の世界の神)」を提唱し
ユダヤ人共同体を破門
追放され




聖書(信仰)の権威を守りつつ
理性的に生きる道(真理への道)

民衆というよりはむしろ
社会体制に理性を奪われた
同志(他の哲学者)たち

提唱することを
こころみますが




志を同じくする
リベラルな政治指導者
ヤン・デ・ウィット
暴徒と化した民衆に惨殺され
スピノザ自身もまた
「無神論者」
「危険人物」

レッテルを貼られ
命を狙われながら
数少ない理解者しか得られない
生涯を送ることになったと
言われています
(その優れた人柄から
「有徳の無神論者」
というあだ名もあったようです)




その思想哲学の
表現方法や
伝達手段はちがえど
2人が言いたいことの
行き着くところは
一緒ではないか

ぼくにはそう見えます




ところが
エックハルトの見た
神との一致は
釈迦(ブッダ)とスピノザ
とどまりません




次回もまた
「マイスター・エックハルトの見た神」
同じ神を見ていたと思える人物を
ご紹介します(^^♪

25日配信の
「2」の世界とは何か?字幕付き動画解説
メルマガ動画でも
エックハルトとスピノザのお話を
少しだけしております




「宗教」から読み解く
アースフルネスのコーナー
でした
今日も
ありがとうございました


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「信じる」の障壁を超えてその人にふれる ~エホバの証人~

確か
一昨年のことです
キリスト教系の宗教組織
エホバの証人に属する
20代の女性の方と
ゆっくりと
お話ができる機会が
あったんですね

ぼくが彼女の
夜勤における
研修教育を任された
そんな出会いでした




このチラシは
彼女との別れ際
いただいたものです
IMG_20181028_101722_convert_20181028103958.jpg





宗教上の理由で
輸血することが
できないがために
我が子を
死に至らせてしまったり
輸血をほどこした医師が
訴えられてしまったり
といった
輸血にまつわる
社会的エピソードに加え




その教義内容や
過去に受けた
勧誘の印象など
掛け合わせつつ




排他的で
偏った世界観の
宗教組織
なのだろうと
主観イメージを
ぼんやり抱いていた
ぼくでしたが




彼女との出会いは
特定の宗教に
属する人々
すべてが
排他的な考え方を
持っているわけではないし

ぼくの
一方的な
思い込みであった面も
多々あること

気づかされる
出会いでもありました




きっかけは確か
ぼくが読んでいた
仏教に関する本でした




お互いの素性は
家族構成や
出身地程度しか
知らない
距離感の中
ふと
本に目を留めた
彼女は
興味深く
本の中身についての
説明を
ぼくに求めました




「新世界訳聖書」という
独自の聖典に
忠実にあろうとし
唯一神エホバ(ヤハウェ)
信仰する彼女

こともあろうに

「神は
人称化できない」

「肉体が
命をうしなうのではなく
命が
肉体をうしなう」

などという
ぼくの話に
睡魔の誘惑を
免れない
真夜中2時3時に
熱意を持って
耳を傾けてくれたんですね




社交辞令
だったかもしれませんが
彼女は
「ブログを
拝見したい」とも
言ってくれたので
ブログ名を
伝えた覚えがあります




その場では
多くを語らず
理解することに
つとめてくれていた
彼女でしたが
こころの内は
反論を禁じえない
強い信念が
あったに違いありません




「信仰」を
何より重んじる
その人にとって
「自らの命」と
同等でもある
それを
「理屈」や
「合理性」で
「正しい」とか
「間違ってる」とか
簡単に
割り切れるものでは
ない
んですよね




なぜなら
他の誰でもない
その「信仰」こそが
自分を
護ってくれているもの
自分を
救ってくれているもの
だから
です

たとえ
他者からは
そうは見えなくとも──




もちろん
宗教や信仰を
利己的な目的で
悪用する人間が
多くいることは
事実です




ときには
信仰のいさかいが
傷つけあいとなり
果てには
戦争にまで
発展してしまう
そんなケースが
少なくないことは
歴史が
証明しております




けれどもそれらは
宗教に限らず
すべての「信じる」に
言えることですが
相手が
何より大切にする
「信じるもの」を尊重し
その人もまた
「自分と同じ
ただの人間」
であることを理解し




その人が
そのことを
「信じる」までにいたった
「経緯」にこそ
「敬意」を払うならば




「考え方の違い」
「価値観の違い」
「宗教観の違い」
という障壁を超えて




ぼくたちは
お互いの
根源に秘めたる
この世を超越した
「不抜の愛」に
同時に
ふれることが
できる
のかもしれません
hands_convert_20181029111429.jpg
出典:hrringleader.com



今日も
ありがとうございました




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イエスだってブッダだって、一人では何もできない

読者のえびはんさんから
こんなコメントを
いただきました



先月1週間くらい、なんだか何もかもうまくいかなくて、
何してもつまんなくて、何も食べたくなくて(食べてましたが)そんなことがあって、
どこへ向かって居るのかわからなくなったことがありましたが、
ここへたびたび来て、今はアースフルネスの視点を取り戻せつつあります。
わたしもいつか人を助けられたらいいな。
これからもたくさん悩むと思うけど、今はそう思います。





どこへ向かっているのか
わからない
そんなとき人は
こんなブログを
読む余裕なんて
なかなか
持てないと思います

娯楽や
趣味のための
ブログなら
何も考えず
ただ楽しむだけでよいのですが

ぼくのブログは
理性的に
「考える」ことを
うながされる
記事が
多いと思われるので

もし
なんにも頭に
入らないくらいに
気分が落ちているときは
みなさん
スマホは機内モードにして
体を休めてくださいね




もしくは
コメントから
その日の
愚痴を吐き出したり
悩みを打ち明けてくださっても
まったく構わないですし(^-^)

ぼくが
力になれるかどうかは
そのときどきに
よると思いますが

相手に伝わるように
アウトプットするという
行為そのものが
こころの整理に
直結します







ところで
えびはんさんから

わたしもいつか人を助けられたらいいな。

という言葉を
最後にいただきましたが

みなさんだったら
人を助ける人と
助けてもらう人

どちらの人に
なりたいと
考えますか?




好きなほうを
選べば
そのとおりに
なれるのなら
人に助けてもらって
生きるよりも
人を助けて
生きれる人になりたい


そう考える方のほうが
多いのではないでしょうか




確かに
歴史をたどっても
スポットを浴びるのは
いつだって
「助けた側」の人ですし
そっちのほうが
承認欲求や
存在意義を
満たしてくれるに
ちがいありません




ですが
実はここに
ひとつの大きな
「見落とし」
があります





なぜなら
「人を助ける」
という行為は
「助けられる人」
なくして
成立せず




すべての
「助ける」
「助けられる」は
「1」の世界ビジョン
読み解くなら
どちらの側にも
優劣がない
助ける側と
助けられる側との
「共同作業」
なのです




イエスだって
ブッダだって
ナイチンゲールだって
杉原千畝だって
例外ではありません
hqdefault_convert_20181006121154.jpg
出典:noriohayakawa.wordpress.com




困っている人
助けを求めている人が
目の前に
存在しなかったなら
上の四人は
説法をすることができず
看護をすることができず
ビザを発給することができず
自分の能力を
MAX100%
活かすことができません




覚者だろうと
そうでなかろうと
可もなく
不可もない
比較対象がない
無力な一人の人間でしか
なくなってしまう
わけです




言うまでもなく
ぼくもまた
ぼくの言葉を
必要としてくれる人が
いなかったなら
あまりにあまりに無力な
一人の人間です





「1」の世界においては
すべての優劣
すべての光と影が
フラットな関係性に
結びついてしまう

これこそが
縁起の真実なんですね






なので
「助ける側の人」になりたい
という
理想を抱きつつも
そうはなれない
他人任せで
受動的な
一人の人間もまた
「替えがきかない役割」を
まっとうしている

言うことができるのです




あえて
今日は
(誰もそんなことを
言う人がいないので)
「助けられる側」の人の
功績

記してみました




そうそう
「貸してやるのではなく使っていただく」 
信用組合理事長/山本明弘さんに見るアースフルネス

の記事でも
ご紹介した
山本明弘さんもまた
ビジネスという制限の中で
「助けられる側の人」の功績を
体感的に理解している
実践者だと思います






記事のきっかけをくださった
えびはんさん
ありがとうございました





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それぞれの世界の動画解説もあるので
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  「2」の世界(天秤世界&父性世界)についての解説
  「1」の世界(縁起世界&母性世界への扉)についての解説 前編  後編
  「0」の世界(悟り世界&母性世界)についての解説 前編  後編

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